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更新日:2020年10月5日

マインドコントロールされていた

 

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生きづらさ体験談

文:ギャラクシー

 

第7回
マインドコントロールされていた

 

┃マインドコントロールとは

 
このコラムは、わたしの体験を紹介するものであり、宗教を批判したり肯定したりするものではありません。
 
これはわたしが学生時代に、ある宗教に入って活動していたときの話です。
 
といっても怖い話ではありません。
 
わたしはマインドコントロールされていたのです。
 

<引用>
マインドコントロール(英: Mind control)とは、操作者からの影響や強制を気づかれないうちに、他者の精神過程や行動を操作して、操作者の都合に合わせた特定の意思決定・行動へと誘導すること・技術・概念である

 
(引用元:Wikipedia「マインドコントロール」
 
やっぱり怖い話じゃないか! と思ったでしょうか?
 
マインドコントロールというと、
 
電波で人を操る催眠術のようなものを思い浮かべる人も多いかもしれません。
 
ですが、わたしが経験したマインドコントロールされた状態とは、
 
「こうあるべき」「こうであるはずだ」といった考えが正しいと思い込ませられ、
 
それにしたがって生きることがベターだと信じている状態のことです。
 
以降、このコラムのなかでは、マインドコントロールは、
 
「こうあるべき」「こうであるはずだ」と思い込ませられ、
「しなければならない」と信じている状態
 
と定義して使っていきます。
 
このように表現すると、
 
なんだか自分も経験があるような気がしてきませんか?
 
マインドコントロールとは、宗教や怖い話に限らず、
 
親や世間から正しいと思い込ませられた"普通"にしたがって生きている人なら、
 
誰しもが経験していることだとわたしは思うのです。
 
 

┃「"普通"でいなければならない」という思い込みにコントロールされた生活

 
実家を離れて大学に通っていましたが、
 
環境を変えただけでは、
 
常にイライラしているような心の状態は変わりませんでした。
 
依存してモラハラ行為をしていた女性と別れたわたしは、さらに怒りが膨れ上がって、
 
しだいに不登校になりました。
 
そんなときに出会った宗教で、施設で集団で生活することになりました。
 
「こうあるべき」「こうであるはずだ」「これが正しい」という真理を信仰させられ、
 
決まった時間に決まった行動をさせられ、
 
人間らしい変化のある生活は認められず、
 
軍隊のような生活でした。
 
おかしいと思っても、やめるという行動をとれなかったのは、
 
わたしが入っていた宗教の施設での暮らしが、実家での暮らしとあまり違いがなく、
 
これが"普通"だと思ってしまったからです。
 
実家にいたときにも、
 
世間一般からみて落ち度のない"普通"でいなければならない。
しっかりしなければならない。
もっとちゃんとしなければならない。
完璧でいなければならない。
 
などと思い込ませられ、
 
人間らしい変化のないように、
 
軍隊のように生活していかざるをえない環境でした。
 
わたしのいた宗教では、人格を否定されることはありませんでしたが、
 
睡眠時間が短く、肉体的に消耗していきました。
 
実家では、睡眠時間はコントロールされずに比較的自由でしたが、
 
人格を否定され、精神的に消耗していきました。
 
苦しみの種類が若干違うだけであって、
 
わたしのいた宗教でも、家でも、苦しんでいることに変わりはありません。
 
しかし、
 
わたしのいた宗教にしろ、家にしろ、
 
信仰がもてなかったり、しっかりしていない自分が悪いのであって、
 
わたしの苦しみは存在しないことになっていました。
 
わたし自身も、わたしが苦しいのではなくわたしが悪いのだと信じていました。
 
したがって、逃げ出すなどのような選択がわたしの中に浮かんでくることはあり得なかったのです。
 
まさにマインドコントロールされている状態です。
 
わたしがその宗教から抜け出すことができたのは、
 
親の支配のほうが強かったからです。
 
「大学に通わないのはおかしい」「宗教の施設に住んでいるのはおかしい」とでも思っていたのでしょう。
 
大学の成績を見て不審に思った母に、わたしは事実を話しました。
 
事実を聞いた母は、そんなところ辞めると言って出てくればいいだけのことだろ。と言いました。
 
それができないから苦労しているのに。そもそも実家だってそれができない環境だったのに。
 
なぜ平気でそんなことが言えるのか理解できませんでした。
 
そして父は、電話に出るなり意味不明なことを言って怒鳴りつけてきました。
 
そのときのことを文章にして書いたことがあります。
 
それを読んだ父は、後に親戚の集まる場で酒に呑まれながら、
 
文章のなかで言い回しのくだけた部分を、ふざけて大袈裟に面白がるだけで、
 
わたしが苦しんでいたことについて書いた部分を気にする様子はありませんでした。
 
わたしの苦しみが存在しないかのようにコントロールされているなと改めて感じました。
 
 

┃深く根強い思い込み

 
結局、両親が大学にきて、
 
初めて見る教員もいる場でわたしが状況を説明し、
 
最終的に大学は辞めて実家に戻ることになりました。
 
担任の先生にはあらかじめ事情を話していましたが、
 
わたしがその場で初めて見た教員は、
 
わたしが入っていた宗教の施設に住んでいるという説明を聞いて驚いた表情をしていました。
 
その表情を見て父は、バカにされたように思ったのかもしれません。わたしのせいで恥をかかされたと思ったのかもしれません。
 
すべて解決し、これで解放されるというときに、
 
父はわざわざ「宗教の施設に住んでいるのはおかしいだろ」と責めるような口調で言ってきました。
 
なぜ、これで終わるというときになってまで、わざわざそんなことを言われなければならないのか。
 
"普通"ではない状況が父は我慢ならなかったのだと思います。
 
世間一般からみて落ち度のない"普通"でいなければならない。
しっかりしなければならない。
もっとちゃんとしなければならない。
完璧でいなければならない。
 
という思い込みが、
 
それほどまでに深く根強く実家に蔓延していたのだと思います。
 
この騒動が終わって落ち着いた頃に、母は、
 
「宗教に入っても信仰がもてないお前はダメな奴だ」
 
と心無い言葉を浴びせてきました。
 
 

┃マインドコントロールにどう耐えたのか

 
わたしがいた宗教でも信者にならず、
 
家庭でも信者にならず、
 
どのようにマインドコントロールに耐えたのでしょうか。
 
それは、怒りの力のおかげだと思っています。
 
理不尽な状況への怒り
相手への怒り
親への怒り
世間への怒り
 
怒りが支えになっていました。
 
わたしがいた宗教のときには、
 
当時お付き合いしていた女性と別れたことがきっかけでもあったので、
 
こんなことになったのはあいつのせいだ、と
 
その女性への怒りが支えになり、
 
過酷な生活の中でもその宗教を完全に信仰することはありませんでした。
 
しかし、わたしは完全に誰かのせいにしてしまうこともできなかったので、
 
怒りは自己否定となり、
 
自分なんてクズだ
自分は生きていてはいけない
 
と自分のことも攻撃するようになりました。
 
わたしが入っていた宗教での騒動を通して、
 
自分なんてクズだという自己否定はピークに達しました。
 
怒りや自己否定の力は、
 
親や世間を見返すための成功を得ようとする原動力にもなりました。
 
しかし、怒りで耐えているうちは、
 
反発はしていますが、
 
「こうあるべき」「しなければならない」という思い込みを信じてしまっている状態です。
 
実家を離れて暮らすようになっても、
 
頭の中に親が住んでいるような感じで、
 
常にイライラしているような心の状態は変わりませんでした。
 
「こうあるべき」「しなければならない」
 
でも、できない。
 
そんな自分を認められない。
 
とても苦しかったです。
 
怒りの力で耐えるしかありませんでした。
 
怒りに呑まれると、心がすり減っていきました。
 
自分を壊すことでしか、自分を保つことができなかったのです。
 
文:ギャラクシー
 
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