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更新日:2020年10月22日

成功を手にして復讐を果たそうとした

 

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生きづらさ体験談

文:ギャラクシー

 

第8回
成功を手にして復讐を果たそうとした

 

┃大学を卒業し、国家試験に合格するという復讐

 
人格や感性の否定、過干渉やモラハラを受けて生きてきたわたしは、
 
自分は一人の人間として存在してはならない、と思うようになりました。
 
心の底に激しい怒りを宿しました。
 
受容されているという感覚はありませんでしたし、
 
自分で自分を受容することもできていませんでした。
 
そこでわたしは、
 
復讐をすることにしました。
 
その方法は、
 
大学を卒業し、国家試験に合格することで、世の中を見返すことでした。
 
世の中を見返すというと少しかっこつけていますが、
 
正確にいうと、親を見返してやるということでした。
 
こんなクズな自分でも国家試験に合格したという証が欲しかったのです。
 
いつの日か、合格した証である免許証を手にとって眺めることができたなら、
 
その瞬間に、やっと報われるような、
 
自分の存在が許されるような、
 
自分で自分を許せそうな、
 
そんな気がしていました。
 
国家試験に合格した証明である免許証を、手にとって眺める瞬間が訪れるのを楽しみにしていたのです。
 
 

┃刑務所のような生活

 
実家を出て、最初に通っていた大学をやめることになったわたしは、
 
復讐を果たすため、
 
実家に戻り、実家から通える大学に通わなければなりませんでした。
 
生きづらさからは抜け出せなかったとはいえ、
 
実家から一度は逃げ出すことができていたにもかかわらず、
 
過干渉、人格否定、モラハラのある実家という環境に戻らなければならないというのは、
 
まるで刑務所に入るような気持ちでした。
 
大学生にもなって、
 
何時に起きるんだ? 今日は休みなのか? など、行動に過干渉をされることは我慢ならなかったので、
 
1時間目の授業が無かろうが、授業が午後からだろうが、振替休日だろうが、
 
毎日1時間目から授業があるかのように、
 
毎日同じ時間に起きていました。
 
わたしは、休日の朝に放送されるテレビ番組を見るのが好きだったのですが、
 
録画をすると親に文句を言われるので、
 
疲れがたまっていようが、飲みに行った次の日だろうが、遅くまで起きた次の日だろうが、
 
必ず放送時間に起床して、録画機能のないワンセグで見るようにしていました。
 
このように、大学生らしく変化のある生活は断念して、刑務所のように生活せざるをえませんでしたが、耐えました。
 
復讐を支えにしていたからです。
 
テスト(期末試験)の前日に母が寝込み、その日勉強ができずに留年が決まってしまい、
そのことを親から責められても文句を言わずに耐えました。
 
大学から送られてきた書類でわたしの名前が間違って書かれていたことを、まるでわたしが悪いかのように親から責められても耐えました。
 
大学内で誰もが認めるほど変な先生のことを、「あの先生は変だ」と言ったにもかかわらず、
「変なのはお前だ」「お前はおかしい」と親から言われても耐えました。
 
大学のイベントや新聞記事で、わたしの学部や国家試験に関係がないためにわたしが知らないようなものを、目ざとく見つけてきては、
「お前がこれを知らないのはお前が人の話を聞かない愚か者だからだ」と言われても耐えました。
 
「飯を食いながらテレビを見れない奴は駄目な奴だ」と言われても耐えました。
 
(ニュースを見て)「テレビゲームをやるような奴は駄目だ。ゲームをするお前もあの犯罪者と同じだ」と言われても耐えました。
 
文化祭の日に家に早く帰ったことに文句を言われても耐えました。
 
わたしが外食などに出かけると、どこに行ったのかと干渉され、親が知らないような店だとますます過干渉されるので、
適当に、ファミレスなどと答えると、「ファミレスなんかどこにもないだろ」などとわけのわからないことを言われても耐えました。
 
「資格をとったら寿司屋になれ」などとわけのわからないことを言われても耐えました。(まったく関係のない資格です)
 
まだ大学で誰も就活が始まっていない時期に、付き合いで飲みに出かけた際に、
「就活もしないで遊んでばかりいやがって」と言われても耐えました。
 
内定を2つしか取らなかったことを親からバカにされても耐えました。
 
内定が決まったとき、給料が安いとバカにされても耐えました。
 
大学から学生に注意するように言われるほど有名なブラックな企業を、なぜ志望しないのかと親からしつこく言われてきても耐えました。
 
あと少しで卒業できるというときに、食事の席で、先に大学を卒業し就職した弟と比較され、
「社会人じゃない奴は駄目だ」「いつまで大学に行くつもりだ」などと言われても耐えました。
 
何年も何年も耐えました。
 
今までの人生でも特につらかった時期として記憶に残っています。
 
 

┃国家試験会場への遠征

 
そうしてやっと卒業が近づき、
 
国家試験の日が迫ってきました。
 
家は刑務所のようでしたが、その反動もあってか学業は順調で、
 
国家試験が近づくにつれて気分は盛り上がっていました。
 
わたしの通っていた大学から国家試験を受験するためには、
 
仙台へ遠征する必要がありました。
 
仙台行きの切符を手にすることが、学生にとっての目標になっていて、
 
わたしにとっても当面の目標でした。
 
大学の仲間と移動の日程や宿を決め、
 
母から交通費や宿泊費を渡してもらうというときになって、
 
母は「なんで仙台まで行くんだ」「なんでホテル代がそんなにかかるんだ」「お前おかしいんじゃないのか」
 
などと散々文句を言いはじめました。
 
ずっと目標にしていたことにすら文句を言われるのか。
 
大学でみんな同じようにやっていることにすら文句を言われるのか。
 
盛り上がっていたはずの気分は、
 
すっかり嫌な気分になってしまいました。
 
そして遠征当日の朝。
 
その日は交通機関を利用するため、いつもと起きる時間が違いました。
 
すると父は、「暖房をつけるのか! つけないのか!」
 
と、どうでもいいようなことを強い口調で、責めるような言い方で言ってきました。
 
このような事態を避けるため、普段のわたしは、大学のスケジュールがどうであろうと毎日同じ時間に起きるようにしていたのですが、
 
その影響が最悪のタイミングで出てしまったのです。
 
おかげで出発の朝は最悪の気分でした。
 
その不快感を引きずったまま、わたしが降りるのを待たずに発車しそうになったバスや、駅で咳エチケットを守らない老婆に会ってしまったことを覚えています。
 
本来、大学でできる限りのことをやったならば、
 
あとは試験でベストを尽くすだけであり、
 
堂々とした気持ちで遠征に臨むことができるはずでした。
 
実際に、わたしはそんな堂々とした気持ちになれることを楽しみにして、つらい日々を耐えていました。
 
しかし、遠征を前にしてのこれらの出来事によって、
 
わたしはすっかりバカらしい気持ちになってしまっていたのでした。
 
 

┃復讐の結末

 
試験には無事に合格しました。
 
免許証が届くのを待ちました。
 
国家試験に合格した証明である免許証を手にとって眺めたとき、
 
やっと報われるような、
 
自分の存在が許されるような、
 
自分で自分を許せそうな、
 
そんな気持ちになれる。
 
耐えて耐えて耐えた。
 
やっと復讐を遂げられる。
 
そのはずでした。
 
免許証の入った封筒が届き、
 
わたしはそれを開けました。
 
わたしの封筒の開け方が気に入らなかったらしく、
 
母が怒鳴りつけてきました。
 
その時点でだいぶ気分が悪かったのですが、
 
こんな気分になるのもあと数十秒。あと少しで復讐が終わる。と思って耐えました。
 
封筒から免許証を取り出すと、
 
わたしが見る前に、母と父が「見せろ」と言ってきました。
 
散々ひどい目に遭ったが、試験に受かったのは親が経済的に支えてくれたからだと思ったので、先に見せることにしました。
 
あと少しで復讐が終わると思って待ちました。
 
母、父の手に渡ってから、
 
ようやく、
 
わたしの手に免許証が回ってきました。
 
それを眺めたとき、
 
わたしに染み込んでくるのは、
 
達成感や充実感。
 
つらい日々に耐えた努力がついに報われる瞬間が訪れるはずでした。
 
しかし、
 
その瞬間に聞こえてきたのは、
 
「名前が間違ってるんじゃないか?」「住所が間違ってるんじゃないか?」という母の声でした。
 
たしかに、免許証の記載に誤りがあれば訂正が必要です。
 
しかし、名前も、住所も、何も間違ってなどいませんでした。
 
その場面で本来言う必要のないことだったのです。
 
母の余計な言葉に水をさされ、
 
わたしは自分自身が報われることができたはずの瞬間を永遠に失ってしまいました。
 
こうして復讐は失敗しました。
 
わたしはこの復讐に、大学に費やす年数だけではなく、
 
それまでの人生のすべてをかけていました。
 
当時は20代後半だったので、
 
それまでのわたしの約30年をすべて踏みにじられたような気持ちになりました。
 
こうして、なにもかもがすっかりバカらしくなってしまいました。
 
 

┃復讐の原動力

 
そうまでして復讐を果たそうとしたわたしの原動力は、
 
ほかでもなく、
 
わたし自身の生きづらさであったと思います。
 
生きづらさからくる怒りや自己否定が力になっていました。
 
復讐を果たそうとしている間、
 
わたしは自分の生きづらさに向き合えていませんでした。
 
復讐を果たすための原動力である以上、
 
それが生きづらさであると認めるわけにはいかなかったのです。
 
もしかすると、心のどこかで、自分が生きづらいと気づいていたのかもしれません。
 
しかし、復讐を終えるまでは、
 
その原動力でもある生きづらさに、何らかの対処をするわけにはいきませんでした。
 
復讐は失敗しましたが、
 
悪いことだけではありませんでした。
 
大学を卒業し、就職したことで、
 
一人暮しをすることができるようになったのです。
 
刑務所のような環境から逃れて、
 
ようやく、安全で自由な穏やかな環境を手にすることができました。
 
落ち着いた環境に身を置いたことで、
 
ついに、
 
生きづらさと向き合う戦いが始まりました。
 
文:ギャラクシー
 
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