生きづらさに名前をつけると安心できるのか

生きづらさ体験談
文:ギャラクシー
第11回
生きづらさに名前をつけると安心できるのか
┃毒親という言葉で安心できるのか
毒親という言葉、このコラムを読んでいるあなたも聞いたことがあるのではないでしょうか。
生きづらさを抱えている人は、初めて毒親という言葉に出会ったとき、
これだ。そうだよなあ。と納得する感覚があるのではないかと思います。
わたしがそうでした。
ただ、結論をいうと、
いまのわたしは、毒親という言葉があまり好きではありません。
毒親という言葉を知ったときは、片っ端から毒親のコラムや体験談を読み漁りました。
たしかにそうだ。わたしと同じだ。苦しんでいるのはわたしだけではなかったのだ。と共感しました。
しかし、つらい記憶が消えず、グルグル思考のループから抜け出せずにいたので、
わたしはいまコラムを読んでいるが、今もまさに苦しんでいる人がいるのだ。
と考えて、書かれている体験が自分のことのように苦しくなりました。
毒親という名前をつけるのは、
たしかに、親に否がある部分を指すには便利な言葉です。
しかし、一方的に親の側だけを責めて終わりにはできないのではないか。
逆の立場になって自分が親になれば、自分も親と同じことをしてしまうのではないか。
そして自分の人生は、毒を植えつけられるためのものだったのか。
毒親ではどうしようもないじゃないか。と考えたのです。
┃自分をアダルトチルドレンだと勇気をもって認めること
毒親という言葉に出会ってから、アダルトチルドレンという言葉に出会うのに時間はかかりませんでした。
アダルトチルドレンは、同義語としてアダルトサバイバーという言い方をすることもあるようです。
なんといってもサバイバルですから、
わたしには機能不全家族を生き抜いた勲章のように思えました。
アダルトチルドレンという言葉の意味は、自分の人生に生きづらさを感じながらも必死で生きているということで、
自分をアダルトチルドレンだと認めることは、とても勇気のいることだと思います。
しのぶさんも、アダルトチルドレンという言葉を「勇敢な人」という意味で使っています。
┃自分は機能不全家族で育ったアダルトチルドレンだった
前章でも使用しましたが、機能不全家族という言葉にも、わたしは同時期に出会っています。
自分が自分でいてはいけないような、安心を感じられない家庭。
思春期に反抗期がこないような、安全ではない家庭。
しかし、子供の側や、親の側に一方的に問題があるわけでもなく、
家族としての機能が欠けていた。
一方的に相手を責めるのではなく、自分自身も含まれている。
それでいて、とにかく自分が悪い。と自分自身を責めすぎる感覚にもブレーキのかかる、
機能不全家族という言葉。
わたしは機能不全家族で育ったアダルトチルドレンだったのです。
そうだったのか。と納得したわたしは、「機能不全家族」「アダルトチルドレン」という言葉を自分の中で採用することにしました。
┃安心できるかどうかは、自分が言葉をどうとらえるかによる
自分の中でどの言葉を採用するのかは、
自分自身と向き合いながら選んでいくものだと思います。
わたしは、毒親という言葉を使うのは好きになれませんでしたが、
自分が機能不全家族で育ったアダルトチルドレンだと知って、
安心することができました。
生きづらい人の中には、「毒親」という言葉を採用して、
自分を客観的にながめ、親を客観的にながめて、
なおかつ、自分と親の関係だけにとらわれることなくメタ思考ができて安心することができる人も、
もちろんいることでしょう。
毒親やアダルトチルドレンなど、生きづらさに名前をつけることで安心できるのかどうかは、
名前をつけるかどうかではなく、その言葉をどのようにとらえるかによるのだと思います。
文:ギャラクシー
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