自分をいじめるのをやめ、自分をいたわる

生きづらさ体験談
文:ギャラクシー
第13回
自分をいじめるのをやめ、自分をいたわる
┃自分を守るために自分をいじめていた
自分自身を守るため、自分を保つため、
より弱い相手をいじめたり虐待したりする。自分もそうされたから。
強者が弱者を虐げる際の、最もシンプルな構図なのではないでしょうか。
しかし、怒りと罪悪感に支配され、こんな自分は存在していてはいけないとまで思ってしまうわたしたちにとっては、
より弱く、虐げる対象となりうるものなど周りにいないことも少なくないはずです。
そこで対象になったのが、自分自身。
どうせ自分なんて、存在していてはいけない。
だから、もっとちゃんとしなければ、しっかりしなければいけない。
完璧でいなければならない。
自分が他の誰かからされたように、自分自身が厳しい自分となって、
24時間自分を監視し、心を支配してきた。
いじめて、虐待した。
それは、自分を守るため。
そうしなければ、理不尽な目にあった記憶を正当化できないから。
つらい出来事やその記憶に耐えるために。
生き残るために。
そんな地獄から抜け出すために。
でも、もう十分頑張ったのではないでしょうか。
┃心を守るために心を殺していた
わたしの場合、機能不全家族やモラルハラスメントといった経験が強く残っていました。
虐待やモラハラは、魂の殺人だと思います。
それを実感したとき、わたしは殺されたのだな、というアウェアネスがありました。
魂の殺人は、殺されたまま生きていかなければならないという点で、
非常に残酷な行為だといえるのではないでしょうか。
怒りに支配されたままでは、
わたしを殺した人殺しを絶対に許さない。
という恨みに飲み込まれてしまっていたでしょう。
罪悪感に支配されたままでは、
そんなことを言ってはいけない。結局は自分が悪いのだから。
と思ってしまっていたでしょう。
もちろん、わたしも無自覚なまま他者に対して魂の殺人をしてしまっている可能性もあると思います。
もう1人の自分と向き合い、
事実を事実として見つめることができるようになったからこそ得られたアウェアネスでした。
そして、そんな自分もまた、自分自身の心を殺してしまっていたことに気がついたのです。
自分の心を守るために、自分をいじめるしかなかった。
自分で自分を守るためなどといって、
厳しい自分になり、自分を攻撃していました。
今すぐやめよう。
自分で自覚してわざとやっている部分だけでも、せめてやめようと思いました。
┃自分をいたわって生きていく
自分が自分を苦しめていたと気づいたとき、
今までつらかったね。
生きてていいんだよ。
という言葉が、自然と自分の中に入ってきました。
そのときに、
やっとわかってもらえたような、
自分の存在が許されたような、
自分で自分を許せそうな気がしました。
やっと、答えが見つかったような気がしました。
もう1人の自分をいたわって生きていけばいいのだと。
文:ギャラクシー
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