『父親は死んだ』とうそをつかれた20年間

生きづらさ体験談
文:もくもく
第1回
『父親は死んだ』とうそをつかれた20年間
今回、しのぶさんにカタルシスライターの執筆をご了承いただきました、もくもくと申します。皆様、よろしくお願いいたします。
私は教師を親に持つ家庭に生まれ、普通に育てられてきました。
「それなら安定した家庭で、ちょっとしつけが厳しいくらいじゃないか?」
なんて思われる方もいらっしゃるのではないかと思います。
確かにそんな部分が多々ありました。子供なら少しくらい悪ふざけやいたずらをすることもあるでしょう。私も何をしたかということまでは覚えていません。
しかし、鮮明に覚えていたことといえば
《正座をさせられ、泣くまで叱られた》
そう、親としては当たり前のしつけだったとは思いますが、子供の自分にとっては鮮明にそこだけは覚えているものです。
「確かに悪いことをしたのかもしれないが、なぜそこまでさせられるのか?」
とその場で思わなくても、あとからよく思ったものです。
そして、働いていた親に変わって私を育ててくれていた祖母は、
「あんたが何かしたら親が職を失うんだからね、そうしたら食べていけないんだよ」
と親とは別の違った形で《厳しいしつけ》をされていました。
そこには別の形でのプレッシャーもありました。それは偶然にも、親の兄夫婦が2人とも教師だったからです。
友達と遊んでいたとしても、17時には帰らなければいけなかった。
夏場はまだ日も落ちておらず、外が明るかったとしても...
10分でも遅いと、「ちゃんと言ってあるのだから、時間は守りなさい」など、いろいろと言われたものです。
幼少期から
《大人の顔色を気にしてしまう子供》
その生活が当たり前で、世に言う【反抗期】が出せることもなかったのです。
肉体での虐待ではないにしても、何かあるたびに言われる
《精神的につらい形でのしつけ》
は、幼ないころから肉体での虐待と同じく、ずっと深く心に残っているものです。
そんな家庭ですが、世に言う【一般的な家庭】と違った部分がありました。
父親がいなかったのです。先ほどの祖母というのは母方の祖母であり、私は生まれてものごごろがついたころには、祖父母と母との生活でした。
そんな環境にあれば当然、他の家庭との違いに気づき疑問が浮かびます。
「なぜ父親がいないのか?」と
しかし、幼いころから大人の目を気にする環境にあって、なかなかそのことは言えずにいました。
父親が参加しなければならないような行事ごとがあれば、祖父が参加する。
そんな姿を見れば、余計に言えなかったものです。
あるとき、意を決して祖母に尋ねたことがあります。
「なぜお父さんがいないのか?」と
帰ってきた答えは、
「お母さんのおなかにいるときに高熱で亡くなった」
ということでした。その場で納得するにはしましたが、写真くらいあるのではないかと思い、見せてほしいと頼みました。
すると出てきたのは、知人や親戚などに送るような【結婚しましたというはがき】でした。
写っていたのは横顔だけでした。
他にないの?と聞きましたが、「実家に戻ってくるときに置いてきたみたいだから、他はないかな」という感じでした。
亡くなったということも聞いていましたし、それ以上詮索してはいけないのだと大人の目を気にする自分がいました。
ましてやそのとき祖母から聞かされたのは、
「父親がいないのはかわいそうだから、おじさん(先ほどの親の兄夫婦)の子にしようかと思ったんだけどね」
という内容でした。そのときに親が反対したため、その計画はなくなったようですが、もしそのままそんな話が進んでいたら、自分の母親のことを今でも【おばさん】と呼んでいたかもしれません。
普段自分には、正論できちんとしろというようなことを言うのに、大人とは何なのだと思ったものです。
一般的に言う【普通の家庭】との違いを感じたり、うらやんだりもしましたが、気にしないようにして時がたちました。
そして私が22歳のとき、祖父が亡くなりました。
親やおじさんなどが忙しいこともあり、私が亡くなった後の整理で役所を周り戸籍謄本などの書類を集めることにしました。
もちろん親の戸籍謄本も取得しました。
そんな最中、親に話があると言われました。
そのときに打ち明けられたことは
「あなたの父親は生きている、もし会いたいなら探すこともできる」
内容を確認するつもりはありませんでしたが、戸籍謄本を見て《離婚》の文字に気づき、不自然だと詮索される前に打ち明けておこうと思ったのだと思います。
「会ってみたいなら探すけど、どうする?」
と聞かれましたが、何の思い出もない人とわざわざ会っても仕方ないと思ったので
「探す必要はないよ」
とだけ答えました。
そんなことよりも、私の中で納得することが難しかったのは
《一番身近にいる親に、20年以上もうそをつかれ隠されていたという事実》
でした。
真面目に生きろとか、少しばかり厳しめのしつけにも教師家庭だし仕方ないことだよなと思って黙って生きて来た事実。
また、不機嫌になられるのも困るから、大人の顔色をずっと気にして生きて来た事実。
にもかかわらず、一番近い人間にずっとうそをつかれていたという事に対する憤りが、そのときの私には強かったのです。
誰を信用したらいいのか?と
もう誰も信用できない、と思っている自分がいる。それでも成長していく中で感じる、人は何かしらの形で人と関わっているし、人を信用したいと思っている自分もいる。
そんな葛藤を抱えながら、それでも人は人に支えられているから生きているんだ、と感じて生きていきたいと考えています。
文:もくもく
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<目次>
1.『父親は死んだ』とうそをつかれた20年間
2.親に相談できなかった進路
3.私の就職先を偽る家族
4.家族に「負け」を認めたくなかった
5.他人の言動に一喜一憂してしまう
6.自分は生きているのか実感できない日々
7.父親のいない私の離婚と子どもへの罪の意識
8.相談相手は誰でもいいというわけではない
9.自分は本当に不幸なのか
10.自分の軸を持とうと思うとき
11.行動できない自分を認めるということ
12.自己肯定と自己否定に疲れ切ったあなたへ
13.いつも不安と戦うしかないのか
14.欲求を満たしますか、義務感を優先しますか
15.あなたの夢は、本当に必要な夢ですか?
16.生きるとは苦しいことと認める
17.「自信がない」をもたらす真犯人
18.年が変わったからと、目標を立てていませんか?
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