家族に「負け」を認めたくなかった

生きづらさ体験談
文:もくもく
第4回
家族に「負け」を認めたくなかった
私は、自営業(喫茶業)をしています。
それは家族に『負けを認めたくない』、『弱音をはくことは許されない』ということにしがみついたことで、始めたことでもありました。
私は、家族に反対されながらも 《喫茶店》で働くという道を選び、過酷な状況でも働きました。
朝から深夜までの出勤、週に1度も休みがないときも多々ありました。
たびたび思ったことといえば、
『家族の反対を受け入れて、サラリーマンの道を選んでおけば、安定でもっといいお給料がもらえたのではないか』
『いつか独立するとはいっても、安い月給の “ブラック企業” 状態がいつまで続くのだろう』
という葛藤で、心の中では何度も何度もくり返し挫折しかけました。
そのときの原動力となったもの。それはたった一つ
『家族に負けを認めたくない』
ということだけでした。
今ここで、「やめて別の道に進みたい」と言ってしまえば、
「最初からやめておけと言ったのに」
「反対したときに、言うことを聞いておかないからだ」
と言われることが、明確に目に見えている。
それだけは避けたい、避けなければならないという思いが非常に強かったのです。
《必ず独立をする》ということが、私の中の目標になっていました。
┃「負け」を認めないために動く、動く
月日がたち、私の中での独立の思いが強くなっていきました。
本当は、働いていた職場の《のれん分け》という形で独立をする予定でしたが、いっこうにそんな話がある気配はなく、独立するための基準というものもなかったので、私は気づけば独立するための行動をしていました。
自分でいろいろな場所を周って借りられる土地を探し、交渉をしました。
話が進まなかったり、折り合わなかったりしてダメになった物件候補も多々ありました。それでも、必死に走り回って候補を探しました。
そのときの私を駆り立てたもの、
『独立をして店を持たなければ、負けを認めたことになる』
その思いだけでした。
店舗営業をする人にとって、大半の場合独立といえば、『自分の城がやっと持てる』とか『自分の技量を、お客さんに認めてもらいたい』というようなことによって、自尊心を高め、また認めていったりする方が多いと思います。
しかし私は店を持ったとき、独立した高揚感はもちろんありましたが、
《家族に負けを認めることもなくここまでやった 》
その達成感のようなものの方が大きかったのです。いわばゴールになっていました。
そういった意味では、今になって思えばこれも、【生きづらさをチカラに変えた】からなし得たことなのかなと思っています。
┃【独立】を果たした代償
店舗営業を開始するとは、本来は『ゴール』ではなく『スタート』なはずです。しかしスタートしてからというもの、予定にはほど遠い数のお客様に悩まされることになりました。
働いているときから、独立して成功したら自分は店舗には出ない!マネジメントする側になりたい!
そう思っていました。なぜ独立を目標としていたのに、店舗に出たくないと思っていたか。
それは、《いろいろな人と関わることが得意ではない》ということが、自分の中でわかっていたからです。
ここに矛盾が生じていたのです。
家族に負けを認めないためには、勤めている喫茶業で独立するしかない。そう思っていました。しかし、独立して自分が店の先頭に立つということは、どんなタイミングで来てもらえるかわからない、どんなお客様とも自分が向き合っていくしかない。
普通であればわかっていて当然のことが、全く見えていなかったのです。
それほど【独立】という2文字への執着だけが強かったのだと感じます。
世の中には、人と関わるのが好き!接客業が好き!という人もいると思うのですが、私は決してそんなタイプではなかったのです。それは従業員として働くころから、わかっていたうえで、
『心の声にふたをしてきた』
部分でもありました。
家族への【反抗】の先にあった道が、たまたま喫茶業という道でした。
そして、気づけば【独立】という2文字を獲得することだけが、私にとっての『勝利宣言』になっていただけなのだと感じています。
しかしそれは、自分で自分の首を絞めたにすぎませんでした。
┃負けを認められない格闘
そしてこの思いを、誰かに相談などできるわけがありませんでした。
「独立して、自分の好きなことをやれているからいいよね」
「好きで始めたことだし、頑張ってね」
という目が周りの反応だからです。
そして今度は、どこでやめるべきなのか、ただここでやめてしまったら借金だけが残ってしまうという、またもや
《負けを認めるわけにはいかない》
という恐怖と向き合わされる日々になりました。
それでも来てくださる人がいて、お金をいただくから何とかギリギリでも営業していける。
人によって生かされている。そう感じさせられることもあります。
しかし、そのお客さんに愛想笑いをするのも、笑顔で接しなければ来店してもらえないことにもほとほと疲れてしまいました。
┃『実存の充実』を求めて生きる
売上を上げられさえすれば、現場に出なくて済むはずだとセミナーにも参加し、そこで人と会うことで気付かされた部分がありました。
セミナーで会う方々は、皆さん「仕事が好き」とか「経営の勉強もしなきゃいけないから来てるけど、現場で何かを作ったり作業をするのが好き」といった方々ばかりでした。
それを聞いた私は、『本当はこれが普通か』と思いました。《自営業》をしている人は、好きを仕事にしているから《自営業》という道を選んでいるのだと思いました。
それは私にしてみれば、羨ましさでしかなかったのです。
なぜなら今まで仕事において、『実存が充実した』ことが全くなかったからです。
ただ一つだけ言えることは、この葛藤をコラムという形で書かせていただける場があったということです。
そしてこのコラムを読んでくださった方が、生きづらさを抱えながらも生きていこうと少しでも思っていただいたとき、私にとって『実存が充実する』のかもしれない、そんな風に思っています。
文:もくもく
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<目次>
1.『父親は死んだ』とうそをつかれた20年間
2.親に相談できなかった進路
3.私の就職先を偽る家族
4.家族に「負け」を認めたくなかった
5.他人の言動に一喜一憂してしまう
6.自分は生きているのか実感できない日々
7.父親のいない私の離婚と子どもへの罪の意識
8.相談相手は誰でもいいというわけではない
9.自分は本当に不幸なのか
10.自分の軸を持とうと思うとき
11.行動できない自分を認めるということ
12.自己肯定と自己否定に疲れ切ったあなたへ
13.いつも不安と戦うしかないのか
14.欲求を満たしますか、義務感を優先しますか
15.あなたの夢は、本当に必要な夢ですか?
16.生きるとは苦しいことと認める
17.「自信がない」をもたらす真犯人
18.年が変わったからと、目標を立てていませんか?
19.その批判はなんのためですか。
20.ダメな人間は本当にいるの?
おかげ様でコラム数500本突破!