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更新日:2020年7月30日

自分は生きているのか実感できない日々

 

自分は生きているのか実感できない日々

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生きづらさ体験談

文:もくもく

 

第6回
自分は生きているのか実感できない日々

 

┃五体満足でも考える『生』と『死』

 
私は入院しなければならないような、特別な病気をした覚えはありません。
 
一般的に言えば、健康的で五体満足と言えるでしょう。
 
しかし、私はいつも《自分は生きているのだろうか》と、考え続ける日々を送っています。
 
ふとした瞬間、これはいつからなのだろうと考えたとき、ずっと昔からだったのかもと思ったのです。
 
 

┃過去との格闘

 
過去をたどれば、自分に父親がいないことに疑問を持ちながらも、家族に聞くこともできず、もやもやとした日々を送りました。
 
進路や就職では、『自分は何がしたいのだろう』と問いかけても、何も浮かばない自分に嫌気しかありませんでした。
 
淡い期待と《夢》を持つことだけを頼りに、仕事を選び、自分をごまかし、偽って生きてきました。
 

 
しかしそれもまた、《自分は生きているのか》という問題を、深刻化させただけにすぎませんでした。
 
 

┃自身の手をみつめて

 
《自分は生きているのだろうか》という問題は、自らの思いと違う『起業』のせいだと思っていました。
 
人と関わることが好きではないのに、接客業(飲食業)を始めたからだと思っていたのです。
 
うまくいけば、自分は経営をして人に任せればいいと思いましたが、それも簡単にかなうことではありませんでした。
 
結果として、一般的に『自分の城』ともいうべき《店》は、心の負担となる《負の遺産》でしかなくなってしまいました。
 
『お金の問題がすべてなのか』と、いつも自分に問いかける日々。
 
何もかもが嫌になるとき、
私は自分の手を見つめ、その手を動かし
 
今、私は生きている。
 
明日も生きているのだろうか。
 
私は生きる。
 
私は死ぬ。
 
私は生きる。
 
私は死ぬ。
 
ぐるぐると回り続ける感覚。
 
自分は何がしたかったのだろう。何かを成し遂げたかったのだろうか?
 
そんなものは、最初からなかったのだろうか。
 
それでもこうやって生きている自分を、許していいのだろうか。
 
今となっては何も決められない、どうしていいかもわからない自分を許していいのだろうか。
 
心から湧き上がる声は、すべて自分を認められない自責の声しかありません。
 
ああそれでも私は、また手をみつめ
 
私は生きるのか
 
私は死ぬのか
 
と問い続けるのです。
 
そこまでして、生きるということは耐えるということなのかと、生きることの難しさを考えるのです。
 
 

┃根本は解決されない

 
このままではダメだよなと、気分転換にどこかに出かけてみました。
 
人間とは不思議なものですよね、一時的な気分の高揚や、景色にいやされるといった気持ちを感じました。
 
しかしそれは、あくまでも一時的なものでしかありません。
 
出かけ先から戻ってきたら、そこは現実の世界と向き合わなければなりません。
 
またもや、考えてばかりのループにおちいり、失敗を恐れるが故に何も行動に移せないループに、どんどんはまっていくのです。
 
そして立ち止まっている自分に、つらさと情けなさしか感じなくなってくるのです。
 
 

┃それでも「生きる」を続ける先に

 
人は苦を拒んで、快楽を求めるものだと思います。
 
苦から目をそらしたいのだ、背けたいのだとばかりに...
 
しかしそこにあるのは、何も変わらない現実だけです。
 
心と向き合い、行動して「体」も「心」も「環境」も整えていくしかない、三理一体で改善していくしかないのだと思っています。
 

 
その先には必ずや、「好き」とまで言えなくても、生きている実感が持てる自分になっていたいと考えています
 
文:もくもく
 
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