行動できない自分を認めるということ

生きづらさ体験談
文:もくもく
第11回
行動できない自分を認めるということ
┃いつもがむしゃらに行動ができますか
こんな経験はありませんか?
行動しなければ、現実は何も変わらないとわかっていても、怖さがつきまとってくる。
そしてなにも行動ができずに、ただ1日を過ごしてしまう。
そんな日が、何日も、場合によっては何ヶ月も何年も続く。
そういう状態の中で、行動ができない自分を
「ダメな自分だ」
「自分はなんて愚かなのだ」
「こんな自分なんて、存在していることに意味があるのかな」
と責めてしまう。
本当は行動したいし、行動しなければなにも現実は変わっていかないとわかっているのに…。
そんなとき、どうすればいいのでしょうか。
私自身も、そんな経験を何度もしてきました。
そのたびに、
「自分はダメなのかな」
「また今日も何もできなかった」
「自分は情けないな」
と、自分を責め続けたりもしました。
┃自分という存在を認めてあげるということ
ただ、そんなことをずっと思い続けても、悪循環が続くだけです。
心に「大丈夫、大丈夫」と言いきかせながら、日々を過ごすことも大切なのかもしれません。
もちろん、本当は大丈夫なんかじゃない、襲ってくる不安や恐怖・怒りのようなものだっていっぱいあります。
それでもそう思わないと、心が壊れてしまうような、その先にあるのは自暴自棄になった自分だけ、そんな気もするのです。
どんなに行動しなければ変わらないとわかっていても、ましてや行動しようにも、人間なのですからうまくいかないことだってたくさんあると思います。
そしてそんな自分を認めるのは、最後は自分しかいないと思うのです。
行動ができていなくても、それでも
「そんなときもある」
「そんなときが続くことだってある」
「今はそんな日々が続いているだけ」
と自分を許してあげる。
自分の《こころ》を認めるのは、簡単ではないかもしれません。
私ももちろん、認められないときがいっぱいあります。
ほとんどの部分、と言ってもいいかもしれません。
でも、自分が認めなければ、誰かが認めてくれるのでしょうか?
誰かが認めてくれたとしても、結局はそれを受け入れるのかどうかは自分です。
だからこそ、最後の砦として自分が認めてあげるしかないと思います。
┃生きていれば、どこかにいいことがある
そんなときに必要なのは、私はまだ生きているという勇気と希望なのかもしれません。
なぜなら、生きていればどこかにチャンスや、行動ができるという瞬間があると思うからです。
だからこそ、「大丈夫」と自分を許してあげる必要があると思います。
行動できないときでも、まずは「大丈夫」とそんな自分を許してあげます。
少し動けたら、行動できたことに対して、小さくても自分はできるのだと自分を褒めてみます。
大きく動けたときは、それが自分に苦痛がないことなのかと改めて振り返って、動けた自分を認めてあげます。
そんな先にこそ、
「あーこんな自分でもよかったのかもしれない」
と、真の意味での自分を認めてあげられる瞬間がくるのかもしれない、と考えています。
文:もくもく
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<目次>
1.『父親は死んだ』とうそをつかれた20年間
2.親に相談できなかった進路
3.私の就職先を偽る家族
4.家族に「負け」を認めたくなかった
5.他人の言動に一喜一憂してしまう
6.自分は生きているのか実感できない日々
7.父親のいない私の離婚と子どもへの罪の意識
8.相談相手は誰でもいいというわけではない
9.自分は本当に不幸なのか
10.自分の軸を持とうと思うとき
11.行動できない自分を認めるということ
12.自己肯定と自己否定に疲れ切ったあなたへ
13.いつも不安と戦うしかないのか
14.欲求を満たしますか、義務感を優先しますか
15.あなたの夢は、本当に必要な夢ですか?
16.生きるとは苦しいことと認める
17.「自信がない」をもたらす真犯人
18.年が変わったからと、目標を立てていませんか?
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