その批判はなんのためですか。

生きづらさ体験談
文:もくもく
第19回
その批判はなんのためですか。
┃わかっていても、人は人を批判をしてしまう
批判をする。
批判をされる。
あなたは、誰かの批判をしたことがあるでしょうか。
それとも、誰かに批判をされたことがあるでしょうか。
人はときに《批判》をする側にも、される側にもなってしまうときがあると思います。
生きづらい人は、特に批判をされる側であった場合、大きな心の傷を負うこともあるのではないでしょうか。
そして、ときにその傷は、心がふさぎ込んでしまうきっかけにもなることもあると思います。
にもかかわらず、苦しい思いをした人ですら、ときに人を批判しているときだってあります。
┃人間は批判をしたがる
最近はインターネット、スマホの発達とともに、人が簡単に意見を言える時代になりました。
しかも、その意見を匿名で出すことも容易な時代です。
それ自体は良いことかもしれませんが、それは同時に人を批判をするきっかけ、批判をされるきっかけが増えたことでもあると思います。
特に新型コロナウィルスによる社会の変化は、さまざまな意見や批判を起こすきっかけをたくさん作りました。
先日、
《飲食店の時短要請に協力金》
の記事を見かけたときのことです。
コメント欄に多数の意見が掲載されていました。
「飲食店だけ優遇されるのはおかしい」
「近所の飲食店は、もともと夕方までなのに営業時間を変えていた。」
「そんな飲食店まで協力金をもらうのはおかしい。断罪すべきだ。」
など、多数の批判や意見がありました。
私自身も喫茶店営業をしています。
当然、自分の打算だけを考えれば、
営業時間を変えるだけで、協力金がもらえるならもらいたい
とも思いました。
それと同時に、
そんなことでもらう人がいるのはおかしい
とも思いました。
コメントにある意見に対して、
批判する立場も
批判される立場も
考えさせられたのです。
私の状況的には、もらえる立場ではないのでもらいませんが、個人的な気持ちだけを優先させれば、
「そんなことでもらえるのなら、もらいたいと思ってしまう」
というのもこのご時世、本音の部分ではあります。
良心の問題や、お金に対してどのような感情をいだいているかの問題かなとは思います。
もし協力金目当てで営業時間だけを変える人がいたとしたら、確かに問題行為だと思います。
しかし、あなたが当事者だとしたら、自信をもって
「そんなことは絶対にしない」
と言い切れますか。
「えっ!?そんなことでもらえるの…。」
「だったら、もらいたいかも…。」
とよぎってしまうことはないですか。
┃人は相手の立場には立てない
今回の件は、人が起こした《おこない》についての良し悪しはあると思います。
ですが、ひとつ言えることは
やみくもに人を批判したり、断罪してもよいのか
ということです。
人はなぜか、自分が批判されると傷つくにもかかわらず
人のことは、あっさりと批判する
ことがあると思います。
もちろん、姑息な人や最初から悪気があるような人もいるでしょう。
ただ、相手の背景や状況を知らずに
この社会は、やみくもに誰かを批判しすぎている
と思うのです。
確かに、生きていれば批判したくなることもいっぱいあるかもしれません。
逆に批判されることだってあるかもしれません。
きれいごとかもしれませんが、誰もが何かを批判する前に相手のことを少しでも考えるようになったら
この社会も捨てたものじゃない
と思う人が、少しは増えるのかもしれないと思っています。
文:もくもく
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<目次>
1.『父親は死んだ』とうそをつかれた20年間
2.親に相談できなかった進路
3.私の就職先を偽る家族
4.家族に「負け」を認めたくなかった
5.他人の言動に一喜一憂してしまう
6.自分は生きているのか実感できない日々
7.父親のいない私の離婚と子どもへの罪の意識
8.相談相手は誰でもいいというわけではない
9.自分は本当に不幸なのか
10.自分の軸を持とうと思うとき
11.行動できない自分を認めるということ
12.自己肯定と自己否定に疲れ切ったあなたへ
13.いつも不安と戦うしかないのか
14.欲求を満たしますか、義務感を優先しますか
15.あなたの夢は、本当に必要な夢ですか?
16.生きるとは苦しいことと認める
17.「自信がない」をもたらす真犯人
18.年が変わったからと、目標を立てていませんか?
19.その批判はなんのためですか。
20.ダメな人間は本当にいるの?
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