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この世界を知り、生きづらさから脱け出す

 

Brain with Soul現象

 


第30回
時間とは?

 
私たちはふだん、時間を感じて生きています。
 
たとえ手に取れなくても、目に見えなくても、私たちの生活の奥底で、絶えず進みゆき、変わらず流れているもの。
 
きっとあなたも、そのような時間の存在を感じながら、日々を送られているのではないでしょうか。
 
その流れる時間のなかのある一点が、意識のなかに『現実』として表現される瞬間。
 
私たちは、それを『今』だと感じるわけですよね。
 
しかしその『今』は、合成された『今っぽいもの』に過ぎないことがわかりました。
 
だとしたら、『今』はどこにあるのでしょうか?
 
私たちの意識が決して触れることのできない、「正しい時間」の上に存在しているのでしょうか。
 
意識の内側にあるこの世界のなかで、時間とはいったい何なのでしょうか?
 
それは、こう表現できるでしょう。
 
時間とは『手段』であると。
 
これだけでは、なんのことだかわかりにくいですよね。
 
そこで、あるものにたとえて、時間とは『手段』であるということについて、一緒に考えていきましょう。
 
あなたには、大好きな曲がありますか?
 
この曲を聴くと、気もちが安らぐ。
 
この曲を聴くと、なつかしいあのころを思い出せる。
 
そんな曲がありますでしょうか?
 
あなたが、その大好きな曲を聴くためには、
 
どうしても時間という『手段』を用いる必要があります。
 
あなたの大好きな曲は、この世界のなかにすでに存在しています。
 
CDとして発売されていれば、そのCDを手に取ることもできます。
 
MP3などの、デジタルデータにもなっています。
 
すでにそこにあるのです。
 
しかし、そのなかに入っている曲を聴くためには、どうしても『時間』が必要になるのです。
 
CDをCDプレイヤーにセットしても、『時間』がなければ、曲が姿を現すことはありません。
 
MP3ファイルをMP3プレイヤーに入れても、『時間』がなければ、曲が姿を現すことはありません。
 
つまり『時間』という『手段』を使わなければ、その曲はこの世界のなかで表現されない。
 
その曲を表現するためには、『時間』という『手段』がどうしても必要になってくるのです。
 
もちろん、映画でも同じことが言えるでしょう。
 
あなたの大好きなあの映画は、すでにこの世界に存在しています。
 
DVDやBlu-rayといったディスクに収められています。
 
そのディスクを手に取ることもできる。
 
「この映画」が好きだと、友人に指し示すこともできます。
 
でもやはり、その映画が姿を現すためには、どうしても『時間』という『手段』が必要になってくるのです。
 
どんなにすでに存在していても、それを表現するためには、『時間』という『手段』が必要なのです。
 
同じように、この世界のあらゆるものごとは、意識のなかで表現するために『時間』を必要とします。
 
つまり『時間』とは、この世界を意識のなかで表現するための『手段』なのです。
 
この世界の内容を表現するためには、『時間』という『手段』がどうしても必要なのです。
 
どこかで流れている『時間』に、私たちの住んでいる空間が乗っかり、一緒に流れているわけではありません。
 
私たちの住んでいる空間が、『時間』によって再生されているということ。
 
すなわち、私たちが「何時何分何秒」と呼んでいる『時刻』というものは、流れる時間の上にある一点を指しているわけではないということ。
 
『時刻』とは、私たちが過去や未来と呼ぶすべてのこの世界の状態のなかから、特定の状態を取り出す目印につけらた「名前」だと言えるでしょう。
 
だから『時間』がまずあって、それが流れているわけではない。
 
『この世界』がまずあって、その内容をある一定のルールで意識のなかにズラッと並べている。
 
それを、私たちは連続して絶え間なく流れている『時間』だと感じているということになります。
 
もちろん、これは私の『時間』のとらえ方です。
 
そして、このようなことを述べると、突拍子もないことを言っているように思われるかもしれません。
 
「だって時間は現にあるじゃないか」と。
 
しかし、精神科医であり臨床哲学を提唱する木村敏は、次のように述べています。
 

<引用>
「離人症患者は時間を感じられない」という言い方は正確さを欠いている。
時間が存在するのにそれが感じられないということではないのであって、そこには端的に言って時間は存在しないのだと言わなくてはならないだろう。
われわれがふだん時間について語り、あたかも時間というものがこの世界に存在しているかのように考えているのは、大多数の人が離人症にかかっていないという、ただそれだけの理由にすぎないのではないだろうか。
※鍵括弧は引用者による


(引用元:木村敏「時間と自己」
 
『時間』がまずあって、絶え間なくその『時間』が流れている。
 
そう感じるためには、ただ並べればいいというわけではないでしょう。
 
あるルールにのっとって並べなければ、私たちは『時間』を感じられないはずです。
 
あるルールにのっとることで、意識のなかで違和感なく『現実』として表現されるわけです。
 
その結果として、『時間』を「流れている」とすら感じることができて、目の前にある『現実』を常に『今』だと感じられるというわけです。
 
では、その「あるルール」とは、いったいなんなのでしょうか?
 
いえその前に、「あるルール」にのっとり、私たちの意識に、いったいなにが読み込まれているというのでしょうか?
 
次回は、その点について探求してみたいと思います。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶかつのり(信夫克紀)
 
参考文献
木村敏「時間と自己」中央公論社

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