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感情に気づけるか、気づけないか

 

葛藤の分岐点 第4回 感情に気づけるか、気づけないか

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葛藤の分岐点

 

第4回
感情に気づけるか、気づけないか

 

┃自分の感情がわからない

 
今回は、人間関係の葛藤が生じる「第三の分岐点」についてご紹介します。
 
それは、
 
“感情に気づけるか、気づけないか”
 
という分岐点です。
 
つまり、自分が今怒っているのか、怖がっているのか、悲しんでいるのか、それを自覚できるかどうか、という分かれ道です。
 
「え?自分が怒っているのに気づけない人なんているの?」
 
そう感じる方もおられるでしょう。
 
しかし、人間関係の悩みで苦しんでいる方のなかには、じっさいに自分の感情に気づけない人がたくさんいます。
 
自分の感情がわからないのです。
 
これは、「感情的な行動」をとっているのに気づけないということとは違います。
 
「感情的な行動」とは、たとえば文句を言ったり、怒鳴ったり、にらんだりすることです。
 
それに対して「感情」とは、純粋に自分の中に湧き出てきた怒りそのもののことです。
 
表に出そうが出すまいが、そこにある正直な気持ちのこと。
 
感情に気づけない人は、その正直な気持ちがそこにあることすら自覚することができないのです。
 
感情に気づけるか、気づけないかによって、人間関係で生み出される葛藤の量は、大きく左右されます。
 
その仕組みを詳しく見ていきましょう。
 
 

┃感情に気づける人

 
まず、自分の感情に気づける人について見ていきたいと思います。
 
今回も肩がぶつかった場面を例にとって、話を進めていきますね。
 
人と肩がぶつかり、まず「第一の分岐点」で瞬間的に怒りがわいてくるとします。
 
さらに「第二の分岐点」を通過し、自分のせいか、相手のせいかという葛藤が生じます。
 
そこで、感情に気づける人であれば、「今、自分は相手に腹を立てているな」と自覚することができます。
 
つまり、腹を立てているとわかった上で、自分のせいか、相手のせいかと葛藤しているわけです。
 
 

┃感情に気づけない人

 
これに対して、感情に気づけない人を見てみましょう。
 
自分の感情に気づけない人は、「第二の分岐点」で、自分のせいか、相手のせいかと葛藤していても、その裏にある自分の怒りを自覚できていません。
 
すると、怒りとそぐわない行動を取ってしまいやすくなります。
 
たとえば怒っているのに、謝ってしまったり、こびたり、迎合してしまう。
 
また、笑い飛ばそうとしたり、気にしてないふりをしてしまう。
 
そして感情と矛盾してしまい、気づかぬうちに怒りをためこんでしまうことになるのです。
 
さらに、その矛盾した行動は、感情に気づいていないらこそくり返されてしまいます。
 
結果として、怒りはどんどんとためこまれていき、人間関係が猛烈に苦しくなっていくのです。
 
怒りに気づいていないからといって、怒りがなくなってくれるわけではありません。
 
迎合していようが、笑い飛ばしていようが、怒りという火種はちゃんと残っています。
 
それに気づけないでいると、怒りは見えないところでふくれあがってしまいます。
 
ふくれあがった怒りは、このあとに訪れる、第四、第五、第六の「分岐点」での葛藤の材料となります。
 
つまり、感情に気づけない人は、知らず知らずのうちに葛藤を増やしてしまう、苦の自動生産システムを持っているということになります。
 
この「感情に気づけない」という性質は、「感情を抑える」こととは別のことです。
 
「感情を抑える」とは、怒りを自覚したうえで、あえてそれを抑えようとすること。
 
それに対して「感情に気づけない」とは、そもそも怒りがあることにすら気づいていないということです。
 
この二つは、まったく別のことなのです。
 
感情に気づけないと、感情に合った適切な行動を取りようがありません。
 
そのため、知らず知らずのうちに容赦なく感情をためこんでしまうのです。
 
 

┃なぜ自分の感情に気づけないのか?

 
ではなぜ、感情に気づけない人は、そのようなやっかいな性質をもっているのでしょうか?
 
理由はさまざまに考えられますが、感情に気づけない人に共通している点が一つだけあります。
 
それは、注意が自分の「外側」に向いているということです。
 
人と接していても、常に相手の顔色や反応、心情をうかがうことで忙しい。
 
相手が、自分をどう思っているか考えることで忙しい。
 
そのため、自分の「内側」に目が向けられていない。
 
つまり、「相手」や「相手の目をとおした自分」を観察することで手一杯なのです。
 
なぜこうなってしまったのかといえば、生まれつき注意が「外側」に向きやすい性質を持っていたのかもしれません。
 
また、注意を「内側」よりも「外側」に向けざるをえない環境で育ってきたのかもしれません。
 
たとえば、家族の機嫌がいつも悪かったり、突然怒りだしたり、無視されたりしてきた。
 
自分の感情はいつもないもののようにあつかわれ、家族の都合ばかり押しつけられてきた。
 
無理に感情を出したとしても、激しく押しつぶされてきた。
 
このように、自分の感情よりも相手の感情を優先させて生きてこざるをえなかったのかもしれません。
 
そのため、自分の「内側」に目を向けるという思考回路が育っていないということも考えられるでしょう。
 
これは「感情に鈍感」という、どこか微笑ましい表現とは違う。
 
自分の感情が、本当にわからないのです。
 
もちろん、自分の感情をたしかめてみた上でわからないという場合もあるでしょう。
 
でも感情に気づけない人の多くは、それ以前に自分の感情がそこにあることに気づけていない。
 
たしかめるという発想すら出てこないのです。
 
気づけていないから、無視している自覚もない。
 
そうして、葛藤の材料を次々と自動生産していくのです。
 
どんなに苦しくても、感情に気づけないからなかなか手を打つことができません。
 
もし手を打ったとしても、もともと自分の「内側」に目を向ける思考回路が育っていないから、上手に対処できない。
 
このため感情に気づけない人は、どうしても人間関係において長期間にわたり苦悩することになってしまうのです。
 
では、感情に気づける人は安心なのかといえば、決してそうではありません。
 
感情に気づける人も、感情に気づけない人も、次の「第四の分岐点」で新たなる葛藤の試練にみまわれるのです。
 
次回はその「第四の分岐点」について詳しく見ていきます。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶ かつのり(信夫克紀)

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