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人に嫌われてしまう(前編)

 

虐待の後遺症第2回人に嫌われてしまう(前編)

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虐待の後遺症

 

第2回
人に嫌われてしまう(前編)

 
あなたは、こんな経験をしたことがありますか?
 
クラスメイトたちの話に加わっても、気がつくと一人になっている。
 
友達との旅行に、自分だけ誘ってもらえなかった。
 
上司や部下、同僚を飲みに誘ってもいつも断られる。
 
新しく知り合った人と、メールやラインで話していても、すぐに返事がこなくなる。
 
取引先の顧客から、担当を変えて欲しいと言われた。
 
仕事でミスをしても、誰もフォローをしてくれない。
 
ほとんど接点のない部署から、いきなり言いがかりをつけられた。
 
しかも、このようなことが二度や三度ではなく、人生の中でずっと続いている。
 
つまり、すぐに人に嫌われてしまう…。
 
いかがでしょうか。
 
実はこの問題、虐待の後遺症の中でも多くの方が悩んでおられ、そしてもっとも根源的ともいえる悩みなのです。
 
では、そもそもなぜこの問題が、虐待の後遺症といえるのでしょうか?
 
それは、人に嫌われる行動の原因の多くが、その人の『自尊心』の低さによるものだと考えられるからです。
 
つまり、幼い頃の虐待被害によって『自尊心』をつぶされたことにより、自分でも気づかぬうちに、人に嫌われる行動ばかりをとってしまっている可能性が非常に高いのです。
 
ここで、その行動の具体的な例を、少しあげてみましょう。
 
たとえば、はじめて会った人に、
 
「私、実はシングルマザーで」
「僕は、鍵っ子でずっと一人だったから」
 
と自分の家庭の事情や成育歴を話す。
 
友人と会ってすぐに、
 
「寝坊した?寝ぐせついてるよ」
「あはは、マスクの付け方が逆だよ」
 
とおかしなところを指摘する。
 
飲み会で、
 
「この前、告白されて」
「仕事で新しいプロジェクトを任されて」
 
と意気揚々と話し始める。
 
出会って間もない人に、
 
「親が旅行したので」
「うちの子が誕生日なので」
 
と高価なプレゼントをしたり、逆に頼みごとをしたりする。
 
取引先の相手に、
 
「○○さんて、さみしがりですね」
「甘やかされて育ったんじゃないですか?」
 
と性格や家庭に踏み込む話をする。
 
一つ一つをとってみると、どれも些細なことですよね。
 
特別嫌われていない人でも、これらの行動をとることは別に珍しくはありません。
 
しかし、これらの行動はどれも、少なくともその場にいる誰もが楽しいと感じるような行動ではないでしょう。
 
それどころか、不審に思う人も多くいるでしょう。
 
場面や相手によっては、露骨に不愉快な気分にすらなってしまうのではないでしょうか。
 
実は、虐待被害者の方の多くは、このような行動“ばかり”をとってしまう傾向があるのです。
 
つまり、相手が不審に思ったり、不愉快になってしまう行動を、どんな場面でもとってしまう。
 
誰に対してもとってしまう。
 
自分と人との接し方が、このような行動で埋め尽くされてしまっていることが多いのです。
 
たとえその一つ一つが些細な行動であっても、絶え間なく積み重なってしまえば、だんだんと周囲の人から距離をおかれるようになってしまうのは、当然のことといえるかもしれません。
 
しかも、その上にとても破壊力のある不愉快な行動を一度でもとってしまえば。
 
もはや全方位の人から、嫌われることになってしまうでしょう。
 
このような、人に嫌われる原因となる行動。
 
それは主に、
 
・迎合
・攻撃
・自己顕示、
・心の領空侵犯
 
という4つの言い方に集約できるでしょう。
 
こうしてみると、まさに人間関係がうまくいかなくなる原因ばかり。
 
その一つ一つをとってみても、かなりのインパクトを持つ行動ですが、虐待被害者の方は、
この集合体を、まさに『虐待の後遺症』として背負わされてしまっている。
 
そのために人から嫌われ、あらゆる場面で人生に行きづまり、やがて生きることそのものまでもが苦しくて仕方なくなってしまうのです。
 
虐待を受けた上に、このような負の遺産まで背負わされるとは…。
 
それは踏んだり蹴ったりといったなまやさしい言葉では表現できないほど、本当に不条理な状況だといえるでしょう。
 
でも、なぜ虐待被害者の方は、このような後遺症を抱えることになってしまったのでしょうか?
 
それは、くり返しになりますが、『自尊心』が育まれていないからです。
 
幼い頃から長い時間をかけて『自尊心』をつぶされてきために、そのような行動を“自然と”とってしまうのです。
 
『自尊心』とは、自分を受け入れる心。
 
その自分に責任を持って生きていける心のことだと、前回私はお話ししました。
 
つまり、自分の基準にしたがえる心ということ。
 
自分の欲求や自分の感情を尊重することを、自分に対して許せる心です。
 
しかし、幼い頃から自分の欲求や感情よりも、家族や周囲の人の欲求や感情を優先せざるを得なかった人は、当然のことながらその『自尊心』が育まれていません。
 
ましてや、自分の欲求や感情を気にかけてもらうことすらなく、もし欲求や感情を出してもあからさまに否定されつづけ、抑えつけられてきたとしたら。
 
さらに、そこに不条理な罰まで加えられてきたとしたら。
 
その人の『自尊心』は、力なくしおれてしまっていることでしょう。
 
かわりにそこにあるのは、自分の本質をつぶされてきた怒り、悲しみ、自分の中に基準がない不安、相手の顔色、否定や罰に対する恐怖…。
 
そのような感情を心の奥底にかかえたまま人と接することになれば、とりあえず、自分の弱みを話して迎合してみたり、相手の落ち度を攻撃して自分を優位に立たせてみる。
 
また、自分の有能さを顕示して好感を持ってもらおうとしたり、相手の心や生活に踏み込んでいち早く近い関係になろうとする。
 
つまり、自分のネガティブな感情をとにかく打ち消して、自分を安心させようとする。
 
安全を確保しようとする。
 
そんな行動ばかりになってしまうのは、人間として当たり前のことではないでしょうか。
 
本人も自覚のないまま、そんな風に“自然と”行動してしまうのです。
 
それが結果的に、人に嫌われることになってしまうわけです。
 
とってもやるせないですよね。
 
まさにこの『人に嫌われてしまう』という問題は、迎合、攻撃、自己顕示、相手の心への領空侵犯など、あらゆる虐待の後遺症の“集合体”ともいえる根源的な悩みといえるでしょう。
 
それゆえに、このコラムでは一番最初にこの問題を取り上げさせていただきました。
 
まずは、あらゆる虐待の後遺症の要素が含まれている『人に嫌われてしまう』という問題を検証することで。虐待の後遺症から脱け出す道筋と基本姿勢が見えてきます。
 
そこで次回は、『人に嫌われてしまう』という問題に、実際にどのように取り組んでいけばいいのか、詳しくお話ししていきたいと思います。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
信夫克紀(しのぶ かつのり)
 

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