なぜ自分ばかりが苦しいのか?

 

虐待の後遺症のイメージ

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虐待の後遺症

 

第9回
屈辱の複合体

 
※虐待経験を想起させる描写が含まれています。
お読みになる際には、十分ご注意ください。
 
シリアスな空気の中で、
面白いことをしろと強要され、
威圧される虐待。
 
前回の例のように、
兄からこのような虐待を受けている妹は、
このとき、その強要と威圧という
強烈な責め苦の他に、
さらに苦しい思いに苛まされています。
 
それは、
「泣きたいけれど、泣けない」
という苦しみです。
 
幼い身であれば、
泣きだしてしまって当たり前の、
神経をガリガリとすり減らされるような
強要と威圧を受けながら、
どうしても泣くことができないのです。
 
なぜなら、泣いてしまうと、
このような虐待を受けたことが、
あとで親にバレてしまうからです。
 
もし親にバレてしまえば、
あとで親は、
妹への配慮もなにも考えず
直情的でガサツに兄を叱りつける。
 
そのとき受けた兄のストレスは、
またあとで自分にまともに返ってくる。
 
今、与えられている
この責め苦だけでも耐えがたいのに、
ここで泣いてしまえば、
またそれ以上の苦しみが
加えられてしまうことになる。
 
だから、
どうしても泣くわけにはいかない。
 
どんなにどんなに苦しくても、
泣くわけにはいかないのです。
 
それだけではありません。
 
ここで泣いてしまえば、
あとあと、あらゆる屈辱の複合体に
苦しまされることになるのです。
 
妹は、この虐待は、兄が自分を、
ただいたぶって喜んでいるだけだと
気づいています。
 
自分はただ、
ストレス解消のおもちゃに
されているだけだという
心が焼けるような屈辱感を
味わっているのです。
 
先ほどのしつけを装った虐待と違い、
その「しつけ」という
大義名分がないだけに、
やられている側は、
まともにその屈辱感を受けるしかありません。
 
そのような
屈辱にまみれた状況において
涙を流してしまうことは、
自尊心を維持するためには、
どうしても許されないのです。
 
そして、泣いてしまえば、
そこに兄からの容赦のない
さらに屈辱的な言葉が浴びせかけられます。
 
「ほら、すぐ泣くぅ。弱いなぁ、おまえは。」
「言い返せばいいのに。情けね。」
「うわぁ、変な顔。気持ち悪いから泣かないでぇ。」
 
こんな非情な言葉を
延々と浴びせかけられ、
屈辱が上乗せされてしまいます。
 
そんな妹の気持ちはおかまいなしに、
兄は泣かせにかかります。
 
妹がみじめに泣く姿を見たいから、
威圧と強要を手を抜くことなく
つづけるのです。
 
泣きたくない。しかし、
状況を打開するためには、
もはやそれしか方法がない。
 
その板挟みの中で、ついに力尽き、
そして、妹の目にこらえていた涙が
あふれ出してしまいます。
 
そこに、待ってましたとばかりに
兄の口から飛び出す屈辱的な言葉を
次から次へと浴びせられる。
 
その言葉を聞きながら、
結局、相手の威圧と強要を
拒絶することもできず、それに屈し、
言い返すこともできず、
泣くことでその場から
逃れようとすることしかできなかった自分。
 
そんな自分を弱い、
情けないと責め、
妹の心の中は屈辱で
埋め尽くされていくのです。
 
ただし、地獄は、
ここで終わるわけではありません。
 
兄はそんな妹を見て、
 
「悔しいか?おい、悔しいか?ほら、言い返してみろよ?」
 
とあおり、嘲笑し、
 
「泣けば許してもらえると思ってんだろ?なぁ?なぁ?」
 
と、妹の苦しみの傷口に
硬い岩塩をすり込むようにして、
威圧と強要をつづけるのです。
 
ついには、妹は、
張りつめたシリアスな雰囲気の中、
涙を流しながら“ギャグ”をやることになるという、
羞恥の極みのような体験をするはめになるのです。
 
あり得ないことに、
それでも兄の気持ちはおさまりません。
 
「やるのが遅いんだよ。」
「はじめからやってれば、こんなことにはならなかったんだよ。」
 
と不条理な怒りをぶつけはじめ、
 
「もっと本物みたいに元気よくやれよ。」
「他のギャグもやれよ。」
 
と、さらなる強要と威圧をつづけるのです。
 
その言葉をよそに、もはや、
精根尽き果てた妹は、
ただうなだれるしかありません。
 
それを見た兄は逆上し、
妹の頭をはたき、腕をねじあげて
地面にひれ伏させるという、
決して親にばれる傷が残らない暴力によって、
妹を痛めつけ、ねじふせ、
さらなる屈辱感を上乗せします。
 
それによって、この残酷な虐待は、
他の誰にも知られず、
永遠に闇へと葬り去られ、
妹は、重ねられた屈辱の複合体に
ズタズタにされた自尊心を抱えて、
怒りと悲しみと情けなさに打ちひしがれた
眠れぬ夜を過ごすことになるのです。
 
このような事例にみられる虐待は、
とても地味でわかりにくい虐待に
見えるかもしれません。
 
「これが虐待なの?」
「きょうだい喧嘩でしょう、これは。」
 
と首をかしげてしまう人も、
中にはおられるでしょう。
 
しかし、
このコラムの冒頭で述べたように、
虐待とは、相手の自尊心を
徹底的につぶしてしまうこと。
 
この事例に登場した妹は、
まさに、地味なやり方で、
ジワリジワリと複合的かつ確実に
自尊心をつぶされてしまっています。
 
しかも、このような強要と威圧を、
日々、あらゆるパターンで
くり返されることによって、
この妹は、着実に『迎合』という
虐待の後遺症を抱えることになるのです。
 
家の中でも、
親や兄の前でおちゃらけて笑わせようとし、
テレビで面白いギャグを見たら、
即座にすすんで真似して、
家の雰囲気を和ませようとします。
 
学校でも同じように、
ひょうきんなキャラクターを演じたり、
友達の探し物をするために
汚い所に自ら入っていくなど、
人が嫌がる作業をすすんでやるようになります。
 
こうして、相手の先手を打って
機嫌を取ることで、
自分の身の回りの安全を
健気に確保しようとするのです。
 
やがて、
その傾向を強めたまま大人になると、
たとえば友人同士を紹介するときに、
聞かれてないにもかかわらず、
 
「この○○さんは、ほんとすごい人なの。別世界の人。私とは全然違うところを見ている本当にすごい人なの。」
 
と本人の前で、
友人を異常に持ち上げて
紹介したりします。
 
この虐待被害者が男性の場合は、
カラオケの場で誰も頼んでいないのに、
服を脱ぎ出して笑いを取ろうとするなど、
過剰なまでのサービス精神を発揮してしまいます。
 
しかし、
これらの行動のどれをとっても、
本来、自分がとりたくて
とっている行動ではありません。
 
これらの行動は、
自分の身の安全を確保するために、
無自覚のうちに勝手にとってしまう、
『迎合』という虐待の後遺症。
 
だから、とても無理をして
その行動をとっています。
 
周囲からは
喜んでやっているように見えていても、
身と心がきしむような無理をして、
その行動をとっているのです。
 
そのため、
やがてその無理がたたり、
心も体も燃え尽きたように
動かなくなってしまい、
仕事を辞めざるを得なくなるほどの
状態になる場合すらあるのです。
 
にもかかわらず、
その人の評価は、まったくあがらず、
休んだところで大して心配もしてもらえません。
 
逆に、とても軽い存在として
扱われてしまうことが多いのです。
 
それもそのはず、
誰も頼んでもいないのに、
自分のことを褒めてくれて、
しかも、面倒なことを
すすんでやってくれるとあらば、
『都合のよい人』と思われても
仕方のないことです。
 
また、その異常なまでに
献身的な行動の裏に、
不自然さがあることを、
周囲の人も感じとっています。
 
そのため、なんだか気味の悪く
接しづらい人として、
逆にうとまれてしまうのです。
 
周囲の人に献身した結果、心身を壊し、
その周囲の人からの評価は下がり、
うとまれすらしてしまう。
 
まさに踏んだり蹴ったりの結果とは、
このことを言うのでしょう。
 
このような悲惨な結果を招く、
虐待の後遺症をもたらしたのは、
兄や姉だけではなく、親の行動にこそ、
もっとも大きな要因があることは、
言うまでもありません。
 
親からの、兄や姉に対する
不条理な扱いによるストレスが、
もっとも弱い立場にいる弟や妹に、
まともに吐き出されてしまったのです。
兄や姉は、親によって、
虐待の加害者にさせられてしまったのです。
 
加害者となってしまった兄や姉も、
弟や妹に虐待を加えておいて、
生涯、平気な顔をして
暮らしていられる人ばかりではありません。
 
人間はここまで
ひどいことができるのかという、
自らの悪の部分を引きずり出され、
それを目の当たりにしてしまったことで、
自分を責めつづけている人が大勢います。
 
そのような人たちは、
親の無配慮さによって、
自己嫌悪の深い穴へと突き落とされてしまった。
つまり、兄や姉も被害者なのです。
 
数年先に生まれたというだけで、
いつまで経っても面倒を見る側として、
親に都合よく使われ、
感謝もされることがない。
 
失敗すれば叱られ、
しつけを装った虐待をされ、
自尊心をつぶされる。
 
そんな中、呑気に過ごして
甘えているだけのように見える弟や妹の、
気に入らない態度を目にしたら、
普段は我慢していたストレスが、
何かの拍子に噴出してしまうのは、
まだ成長途上の人間として
やむを得ないこと。
それは自然な反応なのです。
 
とは言え、そのために
ことあるごとに自尊心を
つぶされつづける弟や妹は、
たまったものではありません。
 
それゆえ、
そのような立場にある弟や妹は、
親に対して、兄や姉と対等に
あつかって欲しいと思っている場合が
ほとんどです。
 
兄や姉に厳しく接する親を見ると、
あとでそのストレスが
自分に対して向けられる地獄が
目に見えるため、
これ以上兄や姉を叱らないで欲しい、
そう願ってすらいるのです。
 
一方、そんなにも悲しく
苦しい兄弟姉妹同士の葛藤に
一切気づこうともせずに、
 
「お兄ちゃんのときだったら、ビンタだったぞ。」
「お姉ちゃんのときは、もっと厳しかったのよ。」
 
と、あからさまに
差別をしていることを、
兄弟姉妹の前で堂々と言い放つような、
救いようのないほど無神経な親も存在します。
 
このような親の、
配慮のない身勝手さ、
子供の気持ちを一切考えず
子供の立場に立って
ものを考えられない視野の狭さ、
兄や姉だから文句を言わず
面倒をみるのが当たり前だという
何も考えていない浅はかな思考によって、
兄弟姉妹の仲は引き裂かれ、
恨み合いを呼び、
骨肉の争いを生んでしまう。
 
そして、この世界に
たった一つしかない、
かけがえなのない
兄弟姉妹という関係を
無残に破壊するという大罪を
犯してしまうのです。
 
しかし、当の親は、
そんな関係におちいった兄弟姉妹を見て、
 
「あの子たちには困ったものだ」
 
と寝言の方がまだ正気だと思えるような、
呑気な言葉を口にするのです。
 
なぜなら、悲しいことに、
やはり、そのような親自身もまた、
同じような家庭環境で育てられ、
その価値観が当たり前になり、
マヒしてしまっている。
 
そして、実際に、
自分自身の兄弟姉妹の仲が
破綻しているという
虐待の悲しい被害者であることが、
ほとんどなのです。
 
ここまで、
具体的な虐待の事例を見ることによって、
『迎合』という虐待の後遺症が
発生するまでのメカニズムを見てきました。
 
あらゆる虐待から生じてしまう、
『迎合』という後遺症。
 
このやっかいな虐待の後遺症を
克服するためには、
いったいどうすればいいのでしょうか?
 
 
Brain with Soul代表
信夫克紀(しのぶ かつのり)
 

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