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それでも迎合が止められないとき

 

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虐待の後遺症

 

第14回
それでも迎合が止められないとき

 
迎合の衝動を消すために、ここまでご紹介した『許可』を出すという方法にくり返し取り組んでみた。
 
しかし、それでも止められないような強い迎合の衝動がわき起こり、その衝動に突き上げられるように、どうしても迎合してしまう「迎合のパターン」がある。
 
それは、もはや『Don’t』ではなくて『Can’t』だということ。
 
『やらない』のではなくて『できない』。
 
その迎合の衝動は、自分の意志ではどうにもならないほど強烈なものなのです。
 
Can’t』 だと判断せざるをえないほど強烈な迎合の衝動が見つかったのなら、それを自分で認め、受け入れる必要があります。
 
「どうしても迎合してしまう自分」というものを受け入れ、その自分で心地よく生きていける生き方を見出していく。
 
そして、じっさいにその方向へと人生の舵を切っていく必要があるのです。
 
しかし、迎合してしまう自分というものをそのまま認め受け入れるということは、口で言うほどたやすくできることではありませんよね。
 
迎合という自分を苦しめてきた諸悪の根源とも思える心のはたらきを、それこそが自分であると認めて受け入れようとするのですから、拒絶してしまいたくなるのも当然のことと言えるでしょう。
 
自尊心がしおれている今だからこそ、それはなおさら受け入れがたい自分だと感じるはずです。
 
そのため、心の中には、「まだできるかもしれない」という思いが常にわき上がってきて、さらなる努力をつづけようとしてしまうのです。
 
そして、
 
「自分の努力が足りないだけなのではないか?」
 
「自分が怠けているだけなのではないか?」
 
「自分が弱いだけなのではないか?」
 
という自分を追い立てる問いかけの言葉が頭の中に渦巻き、『Can’t』であることを認めて受け入れるようとする自分の前に、大きな障害となって立ちはだかるのです。
 
この障害を取り払うためには、しおれている自尊心に力を与えると同時に、
 
「もう努力をする必要がないのだ」
 
ということを、自分に教えてあげなければなりません。
 
ここで、そのための方法を二つご紹介します。
 
まず一つ目の方法は、「とことんやった」ということを「とことん思い知る」という方法です。
 
もしあなたが、じっさいにどうしても抑えのきかない激しい迎合の衝動に悩まされているのなら。
 
それを抑えるために、あなたは今までたくさんの努力をされてきたことと思います。
 
また、前回のコラムをご覧になり、その方法をくり返し試してくださったことでしょう。
 
そのように、自分の迎合を抑えるために試してきた方法、読んだ本などを、思いつくかぎりすべて紙やノートに書き出してみましょう。
 
それと一緒に、残念ながら努力の甲斐なく迎合が抑えきれなかった場面も思いつくかぎり書き出してみましょう。
 
あるていど書き出すことができたら、次にそこに書き出された内容をじっくりとながめ、あなたが懸命におこなってきたあらゆる努力や経験してきた苦しみについて、存分に味わってみましょう。
 
そうして、あなたが「とことんやった」ということを「思い知る」のです。
 
この方法も、前回の方法と同様にくり返すことが大切です。
 
なぜなら、一度は無事に「思い知る」ことができて『Can’t』だと受け入れられたとしても、「まだできるかもしれない」という思いは、なんどでもぶり返してくるからです。
 
そしてあらためて、
 
「自分の努力が足りないだけなのではないか?」
 
「自分が怠けているだけなのではないか?」
 
「自分が弱いだけなのではないか?」
 
とあなたをけしかけ、さらなる苦しい努力を重ねるようにと仕向けてくるからです。
 
だから、書き出した内容をことあるごとになんども目をとおし味わう。
 
自分がとことん努力してきたことと、とことん苦しんできたことを、とことんまで思い知るのです。
 
この方法も、こうして文章で読んでみると、まるで苦行のように思える厳しい方法に見えるかもしれません。
 
しかし取り組んでみると、意外なことに、まったく反対の感想を覚えることに気がつくでしょう。
 
つまり、心の荷物がドサッと降りて楽になる。
 
頭の先から足の先まですき間なく体を固めていた重たい鎧が、
 
「ズシャ、ズシャ、ズシャッ」
 
とはがれ落ちて、体がフッと軽くなるような感覚を味わうことになるはずです。
 
なぜならそれは、自分の「ダメなところ」を思い知ったわけではなく、自分の「努力と苦しみの偉大さ」について思い知ったから。
 
長いあいだとことんまで重ねてきた「努力と苦しみ」の重みを、いつもそばにいてくれる「自分」という人に認めてもらえたからです。
 
それは、その「努力と苦しみ」を誇りに感じるということ。
 
そこまで努力し、苦しみを乗り越えて、今こうして生きている自分にもてるようになるということです。
 
迎合の激しい衝動に苦しまずに済んで生きてきた人は、あなたのほどの努力をしたことがまったくなく、あなたほどの苦しみを経験したことがまったくありません。
 
あなたが日々乗り越えてきた苦難を乗り越えたことがないのです。
 
一方、あなたはじっさいに苦難に立ち向かい、蹴散らし、ときに蹴散らされ、それでも歯を食いしばって耐え、人生を投げ出さず、今日まで命を保って生きてきました。
 
その偉大な事実をあなた自身が自覚することで、しおれていた自尊心にひとすじの芯がピーンととおりはじめ、力が注がれていくのです。
 
さてここで、あなたに質問させていただきたいことがあります。
 
生まれつき肺活量が大きく、体力にも筋力にも恵まれ、なんの練習もせずに楽々とフルマラソンを完走した人がいたとします。
 
一方、生まれつき肺活量も小さく、体力も筋力もないにもかかわらず、何年も何年も努力に努力を重ねてフルマラソンに挑戦し、30Kmでリタイアした人。
 
あなたは、楽々完走できた人だけを、手放しでほめたたえるでしょうか?
 
そんなことはないですよね。
 
30Kmのリタイアした人にも、賞賛の言葉を贈りたくはならないでしょうか。
 
たしかに、楽々フルマラソンを完走できることは「すごい」ことでしょう。
 
しかし、たとえ結果が実らなくても、何年も何年も自らのハンディキャップを乗り越えながら努力を重ね、苦しみながら30Kmを走り抜いたことも、
 
「すごい」
 
ことではないでしょうか。
 
そこには、楽々完走した人とは違う、魂の底から湧き出るような危機迫る「すごさ」を感じないでしょうか。
 
ハッキリ言いましょう。
 
あなたがもし、本当にたいして努力もせず、たいして苦しみもしていないのに、早々と、
 
Can'tかも」
 
と判断しているのなら、まずは努力をすることをおすすめします。
 
でも、あなたは違うはずです。
 
そもそも、そんなかんたんに「Can'tかも」と思えない人だからこそ、ここまで苦しみ、今なおこのコラムを読んでまで迎合の衝動を止めようとしているのではないでしょうか?
 
もうさんざん努力してきたじゃないですか。
 
もうさんざん苦しんできたじゃないですか。
 
そろそろ、自分を認めてあげてもいいころではないでしょうか?
 
自分の努力そのものを評価してあげる、
 
そして、自分の苦しみそのものを評価してあげる。
 
迎合しなくなったかどうかという「結果」ではなく、その「努力」「苦しみ」そのものを認めてあげるのです。
 
もう十分頑張った。
 
もう十分苦しんだ。
 
そう認めてあげる時期がやってきたのです。
 
あなたのそばにずっといつづけて、あなたの「努力と苦しみ」を見つづけてきたのは、あなた自身に他なりません。
 
あなたしか、そのすべてを知らないのです。
 
あなたしか、判断できないのです。
 
そのあなたが、自分の「努力と苦しみ」を認めてあげなくて、いったい誰がそれを認めてあげられるのでしょうか?
 
あなたの「努力と苦しみ」をノートに書きだして、その偉大さをなんども「とことん」まで思い知る。
 
そのとき感じた誇りが、あなたの自尊心を育む豊潤な栄養分となり、自分にとって『Can’t』を『Can’t』として受け入れさせてくれるのです。
 
「ここまで努力し苦しんできた自分ができないのなら、もうできないのだ」と。
 
次回は、『Can’t』を受け入れるためのもう一つの方法、自分自身に投げかける「ある問いかけ」をご紹介します。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶかつのり(信夫克紀)
 

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