嫌われ上手になった原因
嫌われてよかった
第6回
嫌われ上手になった原因
前回の例に出てきたAさんは、人間関係を改善しようと、自分を変える努力をしていました。
にもかかわらず、なぜその努力が、見事に人に嫌われる方ばかりに向かってしまうのでしょうか?
その理由は2つあります。
一つは、人に「好かれよう」としているからということ。
そしてもう一つは、「人に好かれる条件」 を間違ってしまっているからということです。
この二つの理由によって、Aさんのような「嫌われ上手」な人は、努力すればするほど、人に嫌われていってしまうのです。
「嫌われ上手」な人は、人との関係を改善するために、「健全な人間関係」を築こうとせずに、人に「好かれよう」としてしまいます。
「嫌われている自分」を変えるためには、「人に好かれる自分」にならなければいけないと考えてしまっているのです。
よくある人間関係において、人はみな一緒にいるからといって必ずしも相手のことを、とくべつ好きであると考えているわけではありません。
この人といると本当に楽しい、この人に出会えてよかった、いつも一緒にいたい、そんなふうに感じるほど気の合う人とは、そうめったに出会うことはできないでしょう。
だいたいの場合は、相手に対して一つや二つ気に入らないことがあるけれど、仕事をするうえではまあいいか、ランチをするていどの関係ならまあいいかなど、あえて言葉にすれば、そのていどの感覚で人間関係をとらえています。
言いかえればそれは、
「なんとなく一緒にいる」
ということです。
それが「自然」な状態であり、「健全な人間関係」であると言えるでしょう。
しかし「嫌われ上手」な人は、その「自然」な状態を保つことができません。
自分の方は相手に対して、「なんとなく一緒にいる」というていどで接しているにもかかわらず、相手には好かれていないと落ちつかない。
「好かれていなければ嫌われてしまう」と考えてしまっている。
好かれていないと安心できないのです。
そこで人間関係を改善するために、「好かれる」努力をはじめます。
私はあなたに好意を持っています、私はあなたを気分よくさせる存在です、私は一緒にいると面白い人間です、私はみんなの役に立つ存在です…。
そのようなメッセージを相手に伝えられる行動を選ぶようになるのです。
でも残念ながら、そのような努力をしても人に「好かれる」ことはなく、関係も改善されることはありません。
なぜならそもそも「嫌われ上手」な人が考える、その「人に好かれるための条件」というものが間違っているからです。
「嫌われ上手」な人は、自分が嫌われているのは、攻撃的であったり、話しが面白くなかったり、能力が低かったり、相談に上手に乗れないなど、人より「価値」が低いために嫌われていると考えています。
そのため、それらを改善すれば誰からも「好かれる」と考えてしまいます。
それが、
「好かれる条件」
だと思っているのです。
でも、実際に人々は「価値」の高い低いだけで相手とつき合うわけではありません。
先ほども見たように、人間関係は可もなく不可もない、「自然」と一緒にいられるような状態が「健全」だと感じる人が多いもの。
一目惚れや直感をのぞけば、そのような「自然」な関係をつづけていく中で、「この人のことが好きだな」という感覚が芽生えていくケースが多いのです。
よって「嫌われ上手」な人の「好かれる」努力は効果を発揮せず、いっこうに人間関係は改善されていきません。
そのため、「もっと好かれるように努力しなくては」と自分の「価値」をさらに高めようとしてしまい、やがて一つひとつの行動が、
「不自然」
な領域へと入っていくのです。
攻撃的な発言が迎合的と言えるまで卑屈になったり、自分の面白さや優秀さを必要以上にアピールしたり、異常なまでに親しく話し合えるような関係を築こうとしたり…。
「自然」な関係を好む人々の中に、そのように「好かれよう」として「不自然」な行動ばかりとる人が入り込んでしまったとしたら。
人々はそれを、
「異物」
だと感じて排除しようとします。
そこで「嫌われ上手」な人は、手を変え品を変え工夫して、もっと「好かれる」努力をつづけていきます。
それが結果的に、嫌われ上手の7つのタイプをいくつも横断することになっていくのです。
こうして「嫌われ上手」な人は、「人に嫌われるパターン」にハマりはじめます。
そして「好かれる条件」を間違えているために、「好かれよう」と努力をつづければつづけるほどさらに嫌われていくという、悪夢のような悲しい循環から脱け出せなくなるのです。
「嫌われ上手」な人は、人に嫌われようとしているわけではなく、人とうまくやろうとするがあまり嫌われてしまう。
自分を変えたいと思っているがゆえに、悪循環から脱け出せないのです。
人とうまくやるためには、そして人と距離を近づけるためには、人に「好かれる」必要があり、人に「好かれる」ためには「価値」を高めるしかないと、無自覚のうちに信じ切っているのです。
もしも、人の好き嫌いを決めるうえで、「嫌われ上手」な人が考えるような「価値」を重要視する人がいたとしても、その「価値」の基準は人それぞれです。
すべての人の基準において「高い価値」を保つことは、とうていできることではありません。
にもかかわらず、あらゆる人にとって「高い価値」であろうとすれば、やはり嫌われ上手の7つのタイプを横断することになり、「人に嫌われるパターン」から脱け出せなくなってしまうのです。
「嫌われ上手」な人は、人間関係において「自然」に振る舞うことが、とても苦手です。
何気なく人と会話している人や、平気で人の悪口を言っているにもかかわらずなぜか周囲の人とうまくやっている人を見ると、まるでボールの上に立ちながら針の穴に糸を通すような、絶妙のバランスをとっているようにさえ見えてしまいます。
そして、なぜ自分にはそれができずに、嫌われ、敵視までされてしまうのかと、悩みを深くし、自分を責めてしまうのです。
ここまで、「嫌われ上手」な人が、なぜ「人に嫌われるパターン」という悪循環にハマり込んでしまうのかという、その原因について見てきました。
それは、人に「好かれよう」とし、その好かれるための「条件」を間違えてしまっていたからだということがわかりました。
ただし、ここで一つの疑問が湧いてきます。
なぜ「嫌われ上手」な人は、人に嫌われつづけているにもかかわらず、「好かれる条件」が間違っていることに、気がつくことができないのでしょうか?
なぜ、その行動をとりながら、
「これは、逆効果だな」
と違和感を覚えることがなく、嫌われ上手の7つのタイプを次々と横断していってしまうのでしょうか?
次回は、その疑問の答えを見ていきたいと思います。
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
信夫克紀(しのぶ かつのり)
おかげ様でコラム数500本突破!