「ソウルメイト」との出会い

 

嫌われてよかった

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嫌われてよかった

 

第13回
「ソウルメイト」との出会い

 
「嫌われ上手」な人が、
「心の空間」を巨大に広げ、
その中で豊かに住まうようになると、
必ずある二つの出会いに導かれます。
 
それは人間関係から離れ、
「心の空間」を存分に
味わおうと決意した人だからこそ
手に入れられる出会いであり、
 
「この出会いのために、私は私として生まれてきたのだろう。」
 
と思えるほどの貴重な出会いです。
 
その一つは、
 
『ソウルメイト』(魂友)
 
との出会いです。
 
ソウルメイトとはその名のとおり、
魂の奥底でお互いがつながりあっていると
感じられるような相手のこと。
 
たとえ近くにいなくても、
いつでもそばにいるような気がする、
そんな深く強い結びつきを覚える存在です。
 
と言っても、
実際にいつも一緒にいるわけでもなく、
ベタベタと肌を触れ合わせたり、
メールやLINE、SNSでお互いの状況を
つぶさに確認し合うわけでもない。
 
そもそも、
強く結ばれたソウルメイト同士は、
そんな未成熟な付き合いを必要とはしません。
 
それどころか、
実際に顔を合わせるのは一年に一度、
長ければ数十年に一度、いえ、
一生に一度切りであったり、
一生会うことすらないこともある。
 
真につながり合っていれば、
お互いにとってそれで充分なのです。
 
そのようなソウルメイト(魂友)と
よく似た言葉として、
前回までも見てきたような、
「親友」という関係があります。
 
しかし、
ソウルメイトと「親友」は、
まったく別のものです。
 
「親友」は、
目の前にある現実を豊かにするために、
互いに手を取り合うことのできる相手。
 
自らの胸の内を語り合い、
日々お互いを支え合っていける
パートナーと言えるでしょう。
 
たとえそれが「心の空間」の中で
出会ったのだとしても、
「親友」はあくまでも、
 
「実生活の中でのパートナー」
 
なのです。
 
ソウルメイトはそれとはまた違い、
目の前の現実という観点を超え、
その相手が存在してくれたこと自体が
自分の存在理由であり、
生まれてきた意味であるとすら感じられる相手。
 
まさに、
互いの「存在そのもの」を
支え合うことのできる、
 
「魂のパートナー」
 
と言える関係なのです。
 
「その相手が存在してくれたから、私は、自分が生きていることをすべて肯定できる。その相手の存在そのものが、私が存在する意味そのものになる。そう確信できる。」
 
もしそのように感じられる
存在がいてくれたら、
人はどれだけ強く生きていけることでしょう。
 
日々の苦労やトラブルの多くは、
目に入ることすらなくなり、
もし目に入ったとしても、
まっすぐ自分の心に従って、
それを突破していけるようになるはずです。
 
それは、
人間関係に埋もれたまま自分を押し殺し、
うめき声をあげていた過去の人生とは
くらべものにならないほど深く、
爽快感に満ち溢れた人生。
 
その人生の中では、
嫌われたまま生きることを
選んだことによって希薄になった
自分の人間関係を見ても、
そこにさみしさや悲しさではなく、
大きなよろこびすら覚えることになるでしょう。
 
「嫌われ上手」な人が、
「心の空間」をグングンと広げ、
その中を思う存分飛び回る中で、
必ずそのソウルメイトと呼べる存在に
出会うことができます。
 
それは「作品」という「親友」と心の奥底を
共鳴させ合うような生き方が、
互いのソウルメイトとしての
強いつながりに気づかせてくれるからです。
 
したがってソウルメイトは、
自らが「親友」と呼ぶ「作品」を、
ともに深く愛好する人の中から
見つかるかもしれませんし、
その「作品」の作者や、
そこに登場する架空の人物の中から
見つかるかもしれません。
 
またその「作品」自体かもしれませんし、
その中に描かれた物や場所かもしれません。
 
そうです。
 
ソウルメイトは、今ここに、
人として存在しているとは限りません。
 
今、生きている人であっても、
すでに死んだ人であっても、
架空の存在であっても、
物であっても、場所であってもかまいません。
 
この世界に「存在」していたのであれば、
ソウルメイトとしてつながることができるのです。
 
そのような関係は、
「個」を超えたつながり、いわゆる、
 
トランスパーソナルなつながり」
 
と呼ぶことができるかもしれません。
 
自分や相手という「個」が
存在している空間や時間を超えても、
なおつながり合っていると感じられる。
 
そんな強固な関係です。
 
私たちは人とつながろうとすると、
ついつい無理をして自分を抑圧したり、
妥協したりしてしまいます。
 
「嫌われ上手」な人には、
特にそのような考え方や行動のクセが、
自然と身についてしまっているはずです。
 
しかし、
周囲の空気に無理に合わせた抑圧や
妥協の果て手に入れた人間関係に、
私たちは本当の「つながり」を
感じられるものでしょうか?
 
答えは「NO」でしょう。
 
それではただ単に、
年端のいかない子供が、
大人にうながされて「お手々つないで」と、
周囲の子供たちと訳もわからず
手をつながされていることと何も変わりません。
 
本当の「つながり」というのは、
そのような安易な仲良し主義ではなく、
「個」を極めていくことで見出されていくものです。
 
たとえ多くの抑圧や妥協をしたとしても、
そこに疑問を持ち、そこから離れることで
「個」がしっかりと固まっていく。
 
その果てにおいて、
やがて自分という、
 
「極」
 
が生まれる。
 
そのときはじめて、
同じように自分という「極」を
見出した存在と強く引き合い、
結ばれることができるのです。
 
そこには「お手々つないで」という
上辺だけの安っぽい「つながり」ではなく、
魂が震えるほど濃密な、
ソウルメイトとの、
 
「存在自体のつながり」
 
が生じているのです。
 
次回は、
嫌われたまま生きる中で得られる、
二つ目の出会いについてご紹介していきます。
 
Brain with Soul代表
信夫克紀(しのぶ かつのり)
 

 
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