トランスパーソナルを学び、役立てる

 

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トランスパーソナルを日常に活かす

 

第5回
トランスパーソナルが流行らない理由<2>

 
トランスパーソナルが、いまいち日本で流行らない一つの大きな理由。
 
それは、単純に「敷居が高い」ということだと、私は考えています。
 
どういうことかと言いますと、トランスパーソナルな視点を持った人自身が、その視点を持てていることを、「偉い、すごい、高貴だ」みたいに表現し過ぎなのではないか、ということです。
 
つまり、トランスパーソナルという視点にたどり着いた自分は、とても「神聖で気高い存在」であり、その視点を持てていない人は「低俗な存在」だと、やたらとアピールし過ぎのように思うのです。
 
この現実社会よりトランスパーソナルの方が綺麗なんだぞ、純粋なんだぞ、聖なる領域なんだぞ、そして、そこに到達した自分もすごく偉い、高貴な人間なんだぞ…、そんな雰囲気がプンプンとただよっている気がしてしまう。
 
私はこれを、「トランスパーソナルエリート意識」と勝手に呼んでいます。
 
そんなエリート意識を持ってしまう時点で、まったくトランスパーソナルではないと、私には思えてしまうのですが、どうでしょうか。
 
なんでそのような人がいるのかと言うと、その理由の一つに、古くからトランスパーソナルな視点に立つことを「高次の自分」とか「ハイヤーセルフ」などと表現することに、大きく影響を受けている気がします。
 
つまりトランスパーソナルを上下の「上」に見たがる傾向が、とても強くあるということです。
 
もちろん、そのような表現をすることによって、自らを成長させようという意欲が高まることは、とてもいいことだと思いますし、本来はそのような意味で使われているはずです。
 
しかし、人によってはそれを、自分自身に対しての「特別意識」を肥大させ、それを肯定する言葉として利用してしまっているのではないでしょうか。
 
このあたりのことを、以前にアメリカで東西心理学の博士号をとられた先生に伺ってみたところ、それは、もともと『トランスパーソナル心理学』が西洋、とくにアメリカ発祥のものだということが要因の一つになっているかもしれないと教えていただき、とても納得できたのを覚えています。
 
キリスト教社会であるアメリカでは、トランスパーソナルな視点に立つということは、神に近づくということ。
 
つまり、それはとても神聖なことであり高貴なことなのだ、という感覚が強いのだということなのでしょう。
 
<3>へつづく
 
Brain with Soul代表
信夫克紀(しのぶ かつのり)
 

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