人のせいにするか、自分のせいにするか

葛藤の分岐点
第3回
人のせいにするか、自分のせいにするか
┃葛藤を生み出す「第二の分岐点」
人間関係の悩みを生み出す「葛藤の分岐点」。
その「第二の分岐点」は、
“人のせいにするか、自分のせいにするか”
です。
自分が不愉快だと感じたことを、人の責任だと感じるのか、自分の責任だと感じるのかということです。
たとえば、道を歩いていて人と肩がぶつかったとき。
前回見たとおり、「第一の分岐点」において、扁桃体が丈夫な人には不愉快な感情があまり生じません。
そのため、肩がぶつかったことをとくに問題にせず、そのまま歩きつづけることができます。
または礼儀として、「すみません」と感情を込めずスムーズに声をかけて、とおり過ぎることができるでしょう。
しかし扁桃体が敏感な人は、この「第一の分岐点」でひっかかり、まず不愉快な感情という「葛藤の種」を生み出します。
たとえば、怒りが湧いてくる。
その怒りに対しての反応が、「第二の分岐点」となるのです。
つまりその怒りを、「人のせい」にするのか、「自分のせい」にするのかに分かれるのです。
┃怒りを人のせいにできる人
まず、肩がぶつかった怒りを「人(相手)のせい」だと思える人には、葛藤が生じません。
なぜなら、その「怒り」と「人のせい」は同じ方角を向いているので、相手を一方的に責めることができるからです。
そこに矛盾がないため、怒ってはいても、葛藤という苦しみは生じないのです。
つまり、ハッキリと「人のせい」にできる人は、葛藤とは無縁ということです。
したがって、これ以上悩みが「複雑」になる可能性はありません。
たしかに怒ってはいますが、どこまでも自分本位に身勝手な怒りをつのらせているだけです。
その怒りが限度を越えてしまえば、殺意にまでなり、それを実行してしまうという問題も発生するかもしれません。
しかし、それは「人間関係の悩み」と言うには、ほど遠い状態だと言えるでしょう。
┃怒りを「自分のせい」だと思う人
一方、肩がぶつかった怒りを「自分のせい」だと思った人はどうでしょうか?
じつはこれも、心からそう思うのであれば、素直に申し訳ないと思い、怒りは静まります。
だから、葛藤は生じない。
ハッキリと「自分のせい」にできるのであれば、やはり葛藤とは無縁なのです。
これも、際限なく「自分のせい」だと突き詰めてしまうえば、自己嫌悪におちいり、自殺をすんなり実行することにまでなってしまうかもしれません。
しかし、それはやはり「人間関係の悩み」と言える問題ではありません。
つまり、人のせいにしきれる人、自分のせいにしきれる人には、人間関係の悩みは生じないのです。
┃葛藤が生じるのは疑うとき
では、どんな場合に葛藤が生じるのでしょうか。
それは、「人せいだと思うけれども、自分のせいかもしれない」と疑うとき。
また、「自分のせいだと思うけれども、人のせいかもしれない」と疑うとき。
つまり、本当に「相手だけが悪い」のか、本当に「自分だけが悪い」のかと疑う人のなかに、葛藤が目覚めるのです。
たとえば、人と肩がぶつかり、瞬間的に腹が立った。
どう考えても「人(相手)のせい」だと感じた。
しかし…。
もしかしたら、私の不注意だったのでは?
と、反省して疑ってみる。
でも…。
少しは相手にだって責任があるんじゃないか?
と、やっぱり疑い返してしまう。
このような「人のせい」と「自分のせい」という正反対の感覚の間に、葛藤が生じるのです。
反対に、「自分のせい」と思った場合も見てみましょう。
人と肩がぶつかり、瞬間的に腹が立った。
どうも自分がよそ見をしてぶつかってしまったようだ。
しかし…。
あんな目つきでにらまれるほど、悪いことをしたのか?
相手にも悪いところがあるんじゃないか?
こんなふうに「自分のせい」と「相手のせい」という正反対の感覚のあいだに、葛藤が生じます。
それこそが、まさに「人間関係の悩み」となるのです。
┃人間関係の悩みは考え方だけでは解決できない
いわゆる「悩み解決書」「自己啓発書」で紹介されている人間関係の悩みは、ほぼこの「第二の分岐点」で生じる問題です。
つまり、“自分のせいか、人のせいか”という、とても単純な悩みを解決する方法を紹介しているのです。
ハッキリと「人のせい」だと思っていた人には、
「本当は自分にも悪いところがあるのではないですか?」
「感謝が足りないのではないですか?」
と反省をうながしてみる。
ハッキリと「自分のせい」だと思っていた人には、
「ダメなあなたを認めてしまいましょう」
「短所を長所に言い直してみましょう」
と励ましてみる。
そして「人のせいか相手のせいか」で葛藤している人には、
「自分が心を開けば相手も開きます」
と勇気づけてみる。
これらに共通している考え方は、
「人間関係の悩みは、自分のとらえ方次第」
というものです。
たしかに「第二の分岐点」のみの単純な悩みを抱えている人であれば、それであっさり解決してしまうでしょう。
しかし、そこには「第一の分岐点」で紹介した、不愉快な感情が生じやすい体質があるという、重要な大前提が完全に抜け落ちてしまっています。
また、第三、第四、第五、第六…という多くの分岐点を通過する、複雑な悩みもいっさい想定されていません。
まるですべての人間関係の悩みの原因は、自分のもののとらえ方や考え方にあり、それさえ変えれば解決できてしまうかのように語られています。
しかも、かんたんに変えられるかのように書かれている。
そのため、扁桃体が敏感な人や、複雑な悩みを抱えている人まで、「自分の考え方が悪いだけなのだ」と無理をしつづけることになる。
そして、多くの方が苦しんでいるのです。
本当に罪深いことだと思います。
じっさいに私のところにも、そのような本を読んだために苦しんでいる方々から、連日ご相談が寄せられます。
この手の本を書いている人には、信じがたいことに心理カウンセラーと名乗っている人もいるので、同業者(と思いたくないですが)としては、本当に情けない気持ちになります。
┃一周まわって戻ってしまう人
先ほどご紹介した、ハッキリと「人のせい」にする人も、じつは人間関係に悩むことがあります。
人を責めすぎて、周囲から人が去り、生きづらくなるのです。
そのために、たまに「自分のせいなのでは?」疑う瞬間が出てくるのです。
しかし、疑ったとしても一周まわって戻ってくることがほとんです。
たとえば、せっかく「悩み解決書」を手に取っても、自己反省をうながす点はすべてスルーして読んでしまう。
そして、自分を肯定してくれる一文を見つけては、「やっぱり私は悪くないんだ」と自信を取り戻し、ふたたび人を責めはじめるのです。
なかには、自称「心の専門家」にわざわざ会いにでかけて、私は人から傲慢だと言われると相談してみる。
すると「心の専門家」はたいてい、
「傲慢でいいんですよ」
「それがあなたじゃないですか」
「傲慢なあなたを受け入れましょう」
「ありのままのあなたを生きればいい」
と自己欺瞞の方法を教え、思考を振り出しに戻してしまいます。
そして本人は、
「傲慢でいいのよ!〇〇先生が言っていたんだから!」
と、さらに傲慢になって帰ってくることになるのです。
┃人間関係に悩む人は思考停止が苦手な人
なんでも「人のせい」にできる人は、かなり早い段階で思考停止しています。
たまに思考が進みますが、先に述べたとおり、すぐに一周まわって戻ってきます。
そのため、すぐに自分を善の側におくことができます。
だからテレビを見ていても、かんたんに人を断罪できる。
善の側から一方的に意見を述べることができる。
いつでも自分の方が正しい、というより、いつでも相手の方が悪いのです。
ニュースで事件を見ても、自分が犯人と同じ立場に立った時、犯人と同じことをしてしまうかもしれない可能性に、まったく気持ちが向きません。
あっという間に思考停止し、人を責めることができるのです。
これに対して人間関係に悩む人は、思考停止ができない人です。
「もしかすると自分のせいでは?」
「もしかすると相手のせいでは?」
と疑い、かんたんに断罪できないのです。
「完全に人のせい」って何かしっくりこない。
「完全に自分のせい」って思えるほど、心に余裕もない。
だから疑ってみる。
それは思考停止をせず、ものごとには両面があるという事実に気づいているということ。
つまり、人のせいにしきれない人、自分のせいにしきれない人が、「第二の分岐点」で葛藤を生じさせるのです。
その葛藤は、扁桃体によって生み出された怒りや恐怖を、増大させます。
そして、大きくなった怒りや恐怖を、本人はもてあますことになる。
そこに容赦なく「第三の分岐点」が訪れるのです。
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶ かつのり(信夫克紀)
おかげ様でコラム数500本突破!