感情を表現できるか、表現できないか
葛藤の分岐点
第6回
感情を表現できるか、表現できないか
┃感情を自覚しても、それを表現できるとはかぎらない
人間関係の悩みを複雑にする「葛藤の分岐点」。
その「第五の分岐点」は、
“感情を表現できるか、できないか”
です。
私たちは、自分の感情を自覚し、たとえその感情を抑える必要がないと思ったとしても。
無事に、その感情を「表に出せる」とはかぎりません。
感情をどう表現したらいいのかわからない人もいますし、その場面において適切な表現の仕方について迷ってしまう人もいます。
もっとかんたんに言うと、怒り方がわからない、怖がり方がわからない、悲しみ方がわからない。
また、その場で許される範囲の上手な怒り方、怖がり方、悲しみ方がわからないのです。
そのために感情が表現できず、結果として前の分岐点まで戻り、感情そのものを抑えてしまいます。
「葛藤の分岐点」は、かんたんな一本道ではなく、堂々めぐりの葛藤のなかで、あらゆる分岐点を行ったり来たり、複雑に影響を与え合っているのです。
┃感情を表現できる人
では、感情を表現できるか、できないかによって、じっさいにどのような人間関係の葛藤が生じるのかを見ていきましょう。
まずは、感情を表現できる場合です。
今回も今までどおり、人と肩がぶつかったシーンを例にとって見ていきましょう。
人と肩がぶつかり怒りが湧いた。
その怒りに気づいた。
怒りを抑えないことを選んだ、もしくは、怒りを抑えきれなくなった。
そこで迷いなく感情を表現できる人は、葛藤せずに、相手に怒りをぶつけることができるでしょう。
「おい!」
といきなり声をかけてしまう人もいるでしょう。
また、
「痛ぁい!」
と間接的に相手に罪の意識を持たせようとする人もいるかもしれません。
冷静な人であれば、
「申し訳ありません。こちらも不注意だったかもしれませんが、肩がぶつかって痛かったのですが?」
と、みずからも謝罪した上で、相手に反省をうながす人もいるでしょう。
いずれにしても、すべては「私はあなたのせいで不愉快な目にあったのだ」という自分の気持ちを、外に吐き出すために行動をとります。
ここから先の展開は、怒りの表現方法や相手の態度によって大きく変わっていくでしょう。
すんなりことがおさまることもあれば、より怒るはめになることもあるはずです。
ただ、一つ言えるのは、感情を表現できたことで、怒りのエネルギーが一瞬でも解放されたということ。
怒りが完全にしずまったわけではない。
また、心のなかのほんの一部の怒りでしかないかもしれない。
さらに、相手の態度によっては、もっと大きな怒りが生じてしまうかもしれない。
それでも、感情を表現できたことで、葛藤をいったん中断することができたのです。
┃感情を表現できない人
それに対して、感情を表現できない人は、延々とつづく葛藤をさらにつづけることになります。
肩がぶつかり、自分は怒っている。
その感情を抑えずに相手に伝えようと思う。
しかし…。
どう怒っていいかわからないのです。
また、怒ることで相手から受ける反撃も恐ろしい。
反撃自体も恐ろしいが、そこで新たに生じる自分の怒りが恐ろしい。
それらの恐れは、「怒りを表現する」という選択肢を、無自覚のうちに一瞬で消してしまう。
そして、怒りそのものを抑えた方がいいと感じて、無理にでも自分のせいだと思おうとしてしまうのです。
このような性質は、幼少の頃から適切な怒りの表現方法を身につけてこられなかったことが、原因の一つかもしれません。
また、日々、自分の親が目の前で激情をあらわにし、極端な怒り方しか知らないためかもしれません。
さらに、「怒る」という行為と「冷静に話をする」という行為が、ちゃんと同時に成立するものだということを知らないのかもしれません。
いずれにしても、感情を表現できない人は、怒っていることも自覚し、怒りを抑える必要がないということまでわかっている。
だから怒りを表に出したい。
にもかかわらず、その怒りを表現できないという、地獄の葛藤を味わっているのです。
そして、今日も怒りを無理に抑え込もうとし、すべてを自分のせいにしようとして、もがき苦しんでいるのです。
しかし、これだけでは終わりません。
「第六の分岐点」では、さらなる人間関係の葛藤が待ち構えているのです。
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶ かつのり(信夫克紀)
おかげ様でコラム数500本突破!