諸富心理学が受ける誤解
諸富祥彦の名著を味わう
プロローグ<2>
『諸富心理学』が受ける誤解
諸富心理学には、仏教やキリスト教カトリックなどの話題が出てくることがあります。
そのため、なんだか「怪しい宗教」まがいの心理学なのではないかと誤解を受けることがあります。
そこで、前回登場した「宗教学」という言葉をあつかうにあたって、少し説明を加えさせていただきたいと思います。
私が、『諸富心理学』の三つの「イズム」の一角を成すとした「宗教学」。
まずこれを宗教ではなく「宗教学」としたのは、諸富祥彦が学者という立場であり、アカデミックな現場にとどまりながら、臨床家として人々の心理の支援をおこなっていることから、あくまでも「宗教学」という学問領域における「イズム」の融合と表現するのがふさわしいと考えたからです。
またここでいう「宗教学」は、宗教哲学や形而上学の範囲を含めた広義の「宗教学」です。
どの宗教のどの教義にはこのような経緯が含まれており…、という比較研究的要素ではなく、宗教そのものの持つ力の本質に迫る実践研究的要素。
これをもって「宗教学」という表現をとっています。
現代日本でも、一時期仏教がブームとなり、今ではすっかり定着した観があります。
そのような、現代を生きる知恵としての「仏教」のファン方も、『諸富心理学』はしっくりくるのではないかと思います。
というより、仏教よりもとっつきやすいはずです。
なぜなら、そこには宗教がよく陥りがちな報償と罰による単なる「この教義を信じなさい」という盲目的な追従の要求ではなく、自らの探求と納得をもって人生を歩んでいくことを前提とした、客観的な「理論と体系」があるからでしょう。
そのため“諸富本”には、非常に多分野に渡る、含蓄ある言葉や考え方が、その著者名、著作名とともに引用されています。
私もここから、さまざまな賢人の著作に触れる機会をいただきました。
そういった、自分の知識の分野を広げるインデックスとしての役割も、“諸富本”の魅力かもしれません。
<3>へつづく
Brain with Soul代表
信夫克紀(しのぶ かつのり)
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