「生きづらさは強みになる」は本当か?12年寄り添ったカウンセラーの本音
この記事のポイント(要約)
生きづらさは本当に「強み」になるのか?
生きづらさは「強み」にしようとしない方がいい。「強み」にするということは、結局世間のものさしで競い合うことであり、それは世間に馴染めない生きづらい人にとって、とても不利で苦しい戦いにならざるをえない。
魚は陸で勝たなくていい、海の中で自由に泳げればいい
世間のなかで生きづらさを強みに変えるということは、魚に陸で戦えと言っているようなもの。魚には魚の生き方があり、陸には陸の生き方がある。魚は陸で勝たなくていい、海の中で穏やかに自由に泳げればいい。
ではどうすればいいのか?
生きづらさをチカラに変えればいい。強みにするのは「幻」をつかむような話だが、チカラにするのは、ある二つの「事実」を自覚すればいいだけ。それだけで、生きづらいままでも堂々とすがすがしく生きていける。
┃執筆・監修:
生きづらさ専門カウンセラーしのぶかつのり
日本トランスパーソナル学会理事
セロトニントレーナー(有田秀穂・東邦大学名誉教授認定)
著書:『生きづらさから脱け出す実践法』(コスモス・ライブラリー)
【略歴】 幼少期の虐待、植物嫌悪症、重度のうつ病、精神障害者手帳の取得という絶望の淵から、脳生理学・心理学・環境設計を融合させた独自の回復メソッド「三理一体の法則」を体系化。東邦大学医学部名誉教授・有田秀穂博士の査読を受けた論文を上梓。自身の当事者経験にもとづいた「超・当事者目線」のカウンセリングを提供し、延べ8,000件以上の相談実績をもつ。現在は、脱世間起業塾「Adic」やオンラインサロンを主宰し、社会に適応できず苦しむ人々が「生きづらさをチカラに変える」ための支援をおこなっている。
この記事は、次のような方のためのものです。
生きづらさを強みにしようと言われて、
・焦っている
・困っている
・行き詰っている
・本当にできるのかなと疑問を感じている
・「私に強みなんてない」と思っている
そんな人のために書かせていただきました。
なぜなら、生きづらいと感じている多くの方たちが、「生きづらさを強みにしよう」と言われて、逆に苦しんでいるから。
さらに、じっさいに「強み」にしてみようと取り組み、自信を無くしたり、世間で受けた傷を深くしているからです。
もうこれ以上、そのような方たちを増やしたくない。
そのために、生きづらい人の「自己防衛の盾」として、この記事を書こうと決意しました。
私はこれまで10年以上にわたり、生きづらさを抱える方のご相談をお受けしてきた、生きづらさ専門カウンセラーです。
そして自分自身、生きづらさに苦しんできた当事者でもあります。
「生きづらさを強みにしよう」というのは、とても希望がもてる優しい呼びかけですよね。
その優しさ自体は否定されるべきものではないと思います。
しかしその呼びかけによって、生きづらい人が「できないことをやろうとして」苦しんでいるという現実があるのです。
それは、私自身がとおってきた、とても苦しい道でもあります。
あなたに同じ思いはして欲しくありません。
そこでまず「生きづらさを強みにしようとしない方がいい」という理由からお話ししたいと思います。
あなたがこの記事を読むことで、生きづらさを受容し、新たな人生に踏み出す勇気と希望をもつきっかけにしていただけたら幸いです。
1.まず結論:生きづらさは「強み」にしようとしない方がいい
世間ではよく「生きづらさを強みにしよう」と言われるようになりました。
インフルエンサーになる武器にしたり、職場で活かす方法を考えたり。
多くの生きづらい人が、この呼びかけに希望を感じています。
なぜなら、生きづらい自分をさんざん削って生きてきて、限界を迎えているから。
もうこれ以上、世間に合わせうために、自分を削ることはできないと感じているからです。
だから、生きづらい自分のままで生きていけるように、その生きづらさを「強み」に変えたいと願っているのです。
日々、生きづらい方たちのご相談をお受けしていて、それをヒシヒシと感じます。
しかし、冷静に考えてみると、「生きづらさを強みにしよう」というのは、とても無茶な呼びかけだということもわかってきます。
まず、この「強み」という言葉。
これは当然、世間のなかで人より優れている能力という意味にほかなりません。
でも生きづらい人は、その世間に馴染めないからこそ生きづらいわけです。
にもかかわらず、その馴染めない世間のなかで、人より優れていることを目指すというのは、かなり過酷な競争です。
しかも、まさにその馴染めない要因となっている「生きづらさ」を、人よりも優れている能力に変えるとなると・・・、さらに不利で苦しい戦いにならざるをえないでしょう。
これは、魚に「陸で活躍しろ」と言っているのと同じようなもの。
つまり、生きづらさを「強み」にするということは、結局、世間のものさしに合わせて、世間でもてはやされるような価値を無理やりひねり出せと言われているようなものなのです。
もちろん、そう呼びかけている世間の人たちも、善意でそう言ってくれているのは間違いありません。
でも、魚には魚の生き方があり、陸には陸の生き方がある。
魚は陸では戦えないのです。
だから、生きづらさを強みにしようとしない方がいい。
世間の人たちは、どうしてもそれに気づくことができません。
私たち生きづらいものたちは、魚であることを自覚し、自分の身を自分で守るしかないのです。
そのために、私はこの記事を書いています。
2.生きづらい人は「計算能力」や「記憶力」が優れている?
ときおり、生きづらさを強みにしようという呼びかけのなかに、
「生きづらい人は、計算能力や記憶力がズバ抜けている」
という例を挙げる方もおられます。
そのような強み見つければいいんだ、と。
ただ、そのような特殊能力をおもちの方は、生きづらいとおっしゃられる方のなかでも非常にマレです。
長年、生きづらさ専門カウンセラーとしてご相談をお受けしていますが、滅多にお目にかかりません。
にもかかわらず、それを見つけて活かせと言われたら・・・。
多くの生きづらい人は途方に暮れてしまいます。
そして、「自分には特殊能力もなく、ただただ生きづらいだけなんだ・・・」と自己否定を強めてしまう。
私もその一人でした。
そもそも、そのようなズバ抜けた計算能力や記憶力が見つかったとしても、それは生きづらさではなく「埋もれていた能力」です。
その「埋もれていた能力」を掘り起こして活かすということと、生きづらさを強みにするというのは、まったく別のことではないでしょうか。
このように、「能力」と「生きづらさ」の違いを曖昧にして、同列に語られているために、余計に苦しんでしまっているという方も少なくないのです。
3.尾崎豊やアインシュタインを例に挙げられ困ってしまう…
また、ご相談者さんのなかでとても多いのが、次のような経験談です。
「生きづらさを強みに変えようと言われて、だいたい例に挙げられるのが、尾崎豊さんとかアインシュタインみたいなビッグネームなんですよ。そんな社会的に大きな評価を受けた人を挙げられても、まったく参考にならなくて・・・」
たしかにそうですよね。
私も生きづらさにあえぎ手に取った本に、生きづらさを強みに変えた人の例として「チャーリー・チャップリン」が挙げられていました(苦笑)
そんな世界の喜劇王を例に出されたところで・・・。
まったく参考にならずに、困ってしまったことを覚えています。
その方たちの生み出した作品や理論は素晴らしいものです。
ただそれは、その方たちの「社会に求められた才能」と努力によって生み出されたものであって、生きづらさを強みにしたわけではありません。
その「社会に求められた才能」を際立たせるのに生きづらさが活かされてはいますが、生きづらさそのものが作品や理論を生み出したわけではないのです。
もちろん、その方たちが生きづらさを乗り越え作品を生み出した気概は、見習いたいものです。
しかし「社会に求められた才能」は見習うことができません。
つまり、社会的に評価を受けたビッグネームの事例は、じっさいの現場では生きづらさを強みにした参考にはならないのです。
むしろ反対に、せっかく「社会に求められた才能」をもっているにもかかわらず、生きづらさに足を取られてその才能を活かせなかった人の無念の声を、私はずっと聴きつづけてきました。
生きづらい人にとって、生きづらさを強みにするどころか、「社会に求められた才能」でさえも、活かすことはかんたんではないというのが現実なのです。
4.生きづらさを「強み」にしようとして休職をくり返した里美(仮名)さん
今まで見てきたとおり、世間は、「人より優れている」ことをごく自然に目指させようとしてきます。
あまりにも自然すぎるので、ふだんは気にもとめません。
生きづらさを強みにしようという呼びかけも、その一つの例でしょう。
そのために、多くの生きづらい方が気づかぬうちに、自分を追い詰めるハメにおちいっているのです。
たとえば35歳の里美さん(仮名)は、現在療養中。
1年前まで中小企業で経理の仕事をしていました。
繊細な里美さんは、もともと人と接するのは苦手で、生きづらさを抱えていきてきました。
他の方ともあまり話さず一人でたんたんと作業をこなすために効率はよく、会社からの評価も高かったのです。
そこで営業部から声がかかり、その会社史上初の営業事務職に抜擢されたのです。
周囲からは「栄転だね!」と祝福で送り出してもらえました。
しかし・・・。
そこに待っていたのは、部署内に響く大きな挨拶や厳しい叱責の声。
営業関連の電話にも出なくてはならなくなり、繊細な里美さんは徐々に心の調子を崩していきました。
それでも、甘えてはいけないと、なんとか自分を奮い立たせ、大声を気にしないようにして、電話の応対も堂々とできるように必死で自分を営業部に合わせようとしました。
繊細な自分と雑多な仕事場という激しい葛藤。
しかし、ついに力尽き、休職するまで自分を追い詰めてしまったのです。
自分は甘えていただけなのではないか、本当はもっと頑張れたのではないか。
深い挫折感を味わい、もう働きたくないと思うようになりました。
でも働けない自分というものを、とてもではないが受け容れられない。
いったいなんのために働いているのか、そんなことを思うのはただの現実逃避なのではないか。
自分はなぜ生きているのか、死んでしまった方がいいのか、でも死にたくはない、でも生きていたくもない。
そんな終わりのない葛藤に見舞われて、「生きづらい・・・」と自然と口からこぼれる日々。
そのとき、ふと感じたのです。
いくらなんでも、会社に合わせて自分を削り過ぎた。
どうしてこんなに自分に無理強いをさせてしまったのだろう。
そんなふうに、自然と自分に申し訳ない気もちになっていったのです。
それをきっかけに回復に向かった里美さんが、偶然ネットで目にしたもの。
それが「生きづらさを強みにしよう」という言葉でした。
仕事をする上で短所だと思っていたものを長所に変えていけばいい。
それを仕事に活かしていけばいい。
救われた思いがした里美さんは、早速自分が苦しんできた性質をピックアップしていきました。
そして、自分の繊細さはじつは気づかいや心配りができることに活かせると思いついたのです。
相手の顔色が気になるなら、それを活かして先に仕事をもらいにいく。
上司に怒られている同僚にもすぐに気づけるから、お茶をもって一声かけてあげられる。
自分の生きづらさを「強み」に変えられる。
やがて、里美さんはもとの会社に復帰し、そして営業事務を希望したのです。
もう大丈夫。
今の自分ならいける。
生きづらさを「強み」にできるとわかったから。
そう感じていた里美さんに訪れたのは、残酷な現実でした。
相手の顔色が変わるたびに、仕事をもらいにいくどころか逆に恐くなって動けなくなる自分。
お茶をもって気にかけてあげた同僚から、キョトンとされてに落ち込む自分。
そしてなにより、繊細な耳に飛び込んでくる突然の大声や電話の音。
もう無理、でも今さら他の部署にいきたいとは言い出せない。
せっかく、自分がいかに世間に合わせて無理をしてきたのか気づくことのできたていた里美さん。
しかし、その生きづらさを強みに変えようと、世間から脱け出したと思った先は、やはりまた世間のまっただなかだった。
こうして里美さんは、二度目の休職に追い込まれてしまったのです。
5.生きづらさを強みにしない・・・では、いったいどうすればいいのか?
生きづらい人が世間に合わせるのに疲れ果て、でも生きづらさを強みに変えられないのだとしたら・・・。
いったいどうすればいいのでしょうか?
なにか別の生き方があるのでしょうか?
あります。
それは、生きづらさを「チカラ」に変えるという生き方です。
生きづらいあなたは、その生きづらさを抱えながら今日まで生き抜いてきました。
その生きづらさを誰からも理解されないという過酷な運命を、闘い抜いてきました。
絶望してもまた立ち上がり、命を投げ出すことなく今日まで生きつづけてきました。
それだけの生きづらさを毎日乗り越えながら生きてきたあなたは「強い」。
つまり、生きづらさは、あなたの「強さの証明」だという事実。
その事実を自覚することで、あなたは生きづらさを自分のチカラにすることができます。
この生きづらさがあるからこそ、私の強さが証明されるのだ、と。
参考記事
「強さの証明」
わかりにくい不幸を抱えて生きてきた人の強さについて解説しています
さらに、生きづらさの中には、自分だけでなく人を癒すチカラも含まれています。
生きづらいあなたの苦しみは、人からは理解されにくい苦しみです。
生きづらいこと自体もつらい。
でも、生きづらさを理解されないことも、さらにつらい。
そのつらさを知っている人同士でしか、分かち合えない共感があります。
まったく同じ生きづらさを抱えているわけではない。
しかし・・・、
「人から理解されない苦しみ」という次元で深く共感し合うことができる。
それは今まで経験したことがないぶん、とても大きな安らぎをもたらします。
あなたの生きづらさには、その深い共感と安らぎという「チカラ」を、同じように苦しんでいる方たちと共有することができるのです。
私はそれを「カタルシスのもたらし合い」と呼んでいます。
参考記事
「カタルシスが生きづらさ脱出の起爆剤になる理由」
カタルシスとそのもたらし合いがいかに生きづらさの解決に重要なのかを解説しています。
その事実を自覚すること。
それは世間では、なんの価値ももたない事実かもしれない。
陸上では、まったく求められない能力かもしれない。
でも、海の中では、なによりも価値のある宝物。
海の中にいる魚たちには、貴重な貴重な「チカラ」なのです。
この事実を魂の奥底から自覚することで、あなたは自分の生きづらさを受容できるようになります。
生きづらいまま、堂々とすがすがしく生きていくことができる。
今までより、グンと楽に生きていけるようになるでしょう。
生きづらさは、あなたを構成する欠かせない「マスターピース」となるのです。
6.ダイヤモンドの頂点を変える
さらにここで、生きづらさをより生活に直結しやすい「チカラ」に変える方法をご紹介します。
それは、脱世間起業です。
自分の生きづらさを活かして起業するのです。
といっても、ここでまた世間に生きづらさを売り込もうとしたら、本末転倒です。
それは、自分の生きづらさを世間の価値に合わせているに過ぎません。
だから・・・、
自分の中に、世間で通用しそうな「強み」を探すのではない。
世間の中に、自分に価値を感じてくれる「人」を探すのです。
つまり自分と同じく、海に住む「魚」を探す営み。
自分の生きづらさに価値を感じてくれる「人」を探す営み。
それが脱世間起業です。
世間というダイヤモンドの中で、少しでも頂点に近づこうとするのではない。
自分をダイヤモンドの頂点にするのです。
私の「生きづらさ専門カウンセラー」という仕事も、そのわかりやすい例です。
世間から毛嫌いされてきた虐待の後遺症や植物嫌悪症。
そのような「人から理解されない苦しみ」を抱えた私だから語れることがある。
その私にだから共感してくださる方たちがいてくださる。
そうやって「人」を探して情報やサービスをご提供する。
それが私の脱世間起業です。
その具体的なやり方は下記の動画講座、
「繊細なまま起業できる秘密」
でご覧いただけます。
今なら無料で受講できますので、どうぞご覧ください。
7.よくある質問(FAQ)
ここで、生きづらさを強みにすることについて、よくいただくご質問に回答したいと思います。
Q1:生きづらさを「強み」に変えられない自分はダメなのでしょうか?
A1: 決してそんなことはありません。世間で言われる「強み」とは、世間のなかで人より優れた能力を指すことが多く、それを無理に目指そうとすることは、生きづらい自分を削る行為になりかねません。強みに変えられないのは、あなたのせいではなく、そもそもその方法が生きづらいあなたに合っていないだけなのです。
Q2:「強み」と「チカラ」は何が違うのですか?
A2: 「強み」は世間のものさし(外側の評価)に依存する不確かなものですが、「チカラ」はあなたが今日まで生き抜いてきたという動かしようのない「事実(内側の証明)」です。誰かに認められるための武器ではなく、自分を支えるための根拠が「チカラ」です。
Q3:生きづらさを抱えたまま起業するのは、ハードルが高い気がします。
A3: いわゆる「世間一般の起業」のように、競合と戦い頂点を奪い合う必要はありません。大切なのは、自分と同じ痛みや価値観を持つ「人」を丁寧に堅実に探していくことです。これを「脱世間起業」と呼び、自分を削らずにライフワークを得る手段として提案しています。
まとめ.相談するなら「悩みの階層」の深さが同じ人にしよう
いかがでしたでしょうか。
「強み」とは幻想。
外側にある評価。
「この生きづらさは、社会で評価される強みになるかもしれない」という、淡い期待であり、世間のものさしという外側の基準です。
一方・・・、
チカラとは事実。
内なる証明。
「これだけの葛藤を抱えながら、今日まで死なずに生きてきた」という動かしようのない実績。
世間がそれを評価しようがしまいが、あなたが「強い」ということはすでに証明済みの事実であるという内側の基準です。
魚は陸で勝たなくてもいい。
海の中で、自分のペースで泳げればいい。
あなたが生きづらいままで呼吸できる場所を見つけ、生きづらいまま生きていける道を選ぶこと。
それが、生きづらさをチカラに変えるということです。
この記事が、これ以上あなたを削らなくてすむための「小さな盾」になれたなら幸いです。
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶかつのり
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カウンセリングを受けてきた当時者であり現役カウンセラーでもあるしのぶかつのりが、本当に役立つカウンセリングの効果的な利用方法を「超・当事者目線」で紹介する、カウンセリングの活用辞典です。
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