悩みがわかりにくくなる仕組み

悩みの階層
<後編>
悩みがわかりにくくなる仕組み
┃悩みの階層が決まる6つのポイント
では、「悩みの階層」とは、じっさいにどのように決まっていくのでしょうか?
それは、次の6つのポイントで判断していくとわかりやすいでしょう。
1.物質的な生きづらさ
2.心理的な生きづらさ
3.実存的な生きづらさ
4.超数派かどうか
5.社会通念と反するかどうか
6.「葛藤の分岐点」の数
1~5のポイントを満たし、さらに6つ目の「葛藤の分岐点」の数が多いほど、悩みが深くて複雑になる。
つまり、他人からわかりにくくなるのです。
6つのポイントには、耳慣れない言葉が多いですよね。
そこで一つひとつのポイントを、私自身の悩みを例にとってご説明していきたいと思います。
プロフィールにも書いておりますが、私は強烈な植物嫌悪症です。
嫌いという言葉では表現できず、生活にいちじるしい支障が出るレベルです。
とくに室内にあるのは完全にNGです。
さわれないのはもちろんのこと、直視することもできません。
植物柄の服や家具も使うことができません。
私はゴキ〇リも苦手ですが、それよりも植物の方が気味が悪く、とにかく世界で一番苦手なものなのです。
この植物嫌悪症という悩みは、2番の「心理的な生きづらさ」だと言えるでしょう。
しかしそのために、植物が飾られている病院や休憩所など多くの公共施設を利用できず、ホテルや飲食店にも入れないため旅行や外食もかんたんにはできません。
つまり、1番の「物質的な生きづらさ」が生じるのです。
重度のうつ病のときも入院できませんでしたし、カウンセリングに通うことも断念してきました。
テレビ番組のセットでも植物が多く使われているので安心して観られず、野菜を採るのも工夫を要します。
そして、これらの苦労を話しても、まず理解されることはありません。
たいていはケラケラと笑われるか、興味本位で質問をたくさんされます。
ひどい場合は怒られたり、甘えるなと説教もされます。
カウンセラーや医師といった専門家にも話したことがありますが、第一声で笑われて、切実な相談の土俵にすらあがったことがありません。
当然、常に絶望や我慢や怒りがつきまといます。
つまり、2番の「心理的な生きづらさ」が蓄積されていくのです。
このような1番と2番の生きづらさの連携を、私は「現実社会での生きづらさ」と名づけています。
「現実社会での生きづらさ」をくり返すなかで、やがて、これらの苦しみがなぜ自分に与えられたのだろうかという悩みが、自分のなかで大きな面積を占めるようなになってきます。
人生の意味とはなにか、この世界とはそもそもなんのためにあるのだろうかと悩みつづけるのです。
なぜ生きるのか、と。
これが3番の「実存的な生きづらさ」です。
そして、「実存的な生きづらさ」がつのってくると。
日常生活や人と会うことはより苦痛になっていき、「現実社会での生きづらさ」がさらに増していきます。
このように、1~3番の生きづらさはともに影響を与え合ってからみ合い、悩みをどんどんと大きく、わかりにくくしていくのです。
┃さらに悩みをわかりにくくするポイント
さらに、これらの悩みをよりわかりにくくするポイントがあります。
それが4番目のポイントである、自分の悩みが「超数派」であるかどうかです。
私の植物嫌悪症は、まさに超数派にあたります。
超数派とは私が考えた言葉ですが、「数えられることすらない性質をもつ人」という意味です。
多数派でもない、少数派でもない、超少数派でもない。
数えられることを超えた存在。
つまり、存在していることが想定されていない性質をもつ人を指します。
そのため、社会からはまったく配慮をしてもらえませんし、具体的なケアは一切期待できません。
それらを無理に求めれば求めるほど、「現実社会での生きづらさ」も「実存的な生きづらさ」も増していきます。
ここでさらに、5番目のポイントである「社会通念と反する」が加わると、配慮されないどころではなくなります。
積極的な「被害」を受けることにもなるのです。
社会通念と反するとは、
「世間一般の感性とは真逆の感性を持っている」
という意味です。
たとえば植物は、社会通念においてもっとも「癒されるもの」として通用しています。
しかし、私はそれとは反対に、植物がもっとも「気味が悪い」という感性を持っています。
つまり完成が「真逆」なわけです。
そのため社会は、私がもっとも「気味が悪い」と感じるものを、もっとも癒されたい場所である入院施設やホテル、飲食店などに積極的かつ大量に置くことになります。
そして、もっとも癒されたいものである布団やソファの柄にも使います。
さらに、もっとも癒されたいスペースであるリビングで見るテレビ番組のセットとしても使います。
どこにいても、私は癒されるどころか反対に「被害」をこうむるわけです。
しかし、世間でこれを「被害」と呼ぶことは受け入れられません。
真逆の感性を持っている私が「ワガママ」であるということになるからです。
そして、私がもっとも「気味が悪い」思うものを、世間ではもっとも「癒されるもの」として、玄関先や庭やベランダで大切に育て、増やしていくのです。
それだけではなく、勤め先の退職時に花束を贈呈されるといった、かなりストレートな「被害」を受ける場合もあります。
もちろん、たいへんありがたく、気持ちは本当にうれしいのですが、私にとっては「ゴキ〇リ詰め合わせ」をいただいたのとなんらかわりがありません。
ただしこれも、社会通念と真逆の感性であるため、「被害」と呼ぶことが許されません。
どんなにていねいに感謝の気持ちを述べて、頭を下げて断わったとしても、私の方が責められることになります。
「せっかく用意した私たちの気持ちはどうなるのだ。私たちの気持ちも考えろ」と。
そこで、「受け取りたくない私の気持ちはどうなるのだ。私の気持ちも考えろ」と正論を述べても、話し合いにすらなりません。
感謝が足りない、ガマンが足りない、自分勝手と言われるだけに終わります。
感性が「真逆」なために、いっさい、まったく、どうしようもなく話が通じないのです。
もし私が「ゴキ〇リの詰め合わせ」をもらったのなら、社会通念にそっているため、「被害」を認めて私に同情してくれる人も多いはずです。
しかし、社会通念に反している場合、「被害」と認められることは決してないのです。
それだけではなく、真逆であるがゆえに、社会はよかれと思って積極的に、さらにくり返し私に「被害」を与えてきます。
私も、相手が好意でやってくれていることがわかっているだけに、断りにくく、言い出しにくい。
以上のように、「超数派」であることと「社会通念に反している」ことは、悩みをよりわかりにくくさせていくのです。
┃人間関係の葛藤
ここまで、1~5番のポイントを満たすことで悩みがわかりにくくなっていく様子を見ていただきました。
もともと「植物嫌悪症」という悩み自体は、私と植物とのあいだの問題でしかありませんでした。
じつは、そこに「あるもの」がかかわることによって、どんどんと悩みが大きく、わかりにくくなっていきました。
その「あるもの」とは、いったいなんでしょうか?
それは「人間関係」です。
人とかかわることによって、悩みは大きく、わかりにくくなっていくのです。
人間関係は「葛藤」を生み出します。
葛藤がより多く生まれることで、悩みは複雑になっていきます。
その葛藤が生まれる場所が、6番目のポイント「葛藤の分岐点」です。
「葛藤の分岐点」は、次のA~Fに分かれています。
A.扁桃体が丈夫か、敏感か
B.人のせいにするか、自分のせいにするか
C.感情に気づけるか、気づけないか
D.感情を抑えるか、抑えないか
E.感情を表現できるか、できないか
F.引きずるか、引きずらないか
このすべての「分岐点」において葛藤が生じる人は、人間関係で悩みやすいのです。
つまり、「悩みの階層」の1~5番のポイントを満たし、なおかつ人間関係における「葛藤の分岐点」のA~Fで葛藤がより多く生じると。
悩みはわかりにくく、複雑なものになる。
つまり、「悩みの階層」が深くなるのです。
ちなみに私は、すべての「葛藤の分岐点」で葛藤を生み出しやすい人間でした。
だから植物嫌悪症のもたらす悩みは、より複雑になり、よりわかりにくくなっていったのです。
┃心地よい、快適な人生を手に入れる方法
今の例で見ていただいたとおり、「植物が嫌い」と一言で表現される悩みのなかにも、じつは数多くの苦しみが含まれていました。
植物嫌悪症そのものは、悩みの表面にしか過ぎないのです。
しかし、他の人から見ると、当然瞬時にそれを理解することはできないでしょう。
なにに苦しんでいるのか、たいへんわかりにくい。
それどころか「悩み」だとすら受け取れない。
そこで、悪気なく面白そうに笑ってしまったり、興味本位で質問を重ねて、まともに取り合うことがなくなるわけです。
だから、私も以前は苦しい人生を送っていました。
しかし、今は人生を「心地よい」と思いながら過ごすことができています。
毎日がとても幸せです。
といっても、相変わらず植物は大嫌いです。
ただ「悩みの階層」に気づき、自分の悩みの深さを知ったことで、無駄な無理をしない、快適な人生を生きられるようになったのです。
あなたがもし、ご自分の切実な悩みを人に理解されず、苦しんでいるのなら。
ぜひ「悩みの階層」に焦点を当てて、ご自分の悩みを見つめてみてください。
あなたの深い悩みが読み解かれていくなかで、きっと心が解放される瞬間が訪れ、新たな解決方法が見えてくるはずです。
私とのカウンセリングの場でも、多くの方が同じ体験をなさっています。
あなたの苦しみが通じないのは、あなたが悪いわけじゃない。
相手が悪いわけでもない。
ただ、「悩みの階層」が違っているだけなのです。
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶ かつのり(信夫克紀)
おかげ様でコラム数500本突破!