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他人を本当に理解することはできるのか?

 

理解しない努力をアピールする女性の画像

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しない努力

 
第12回

理解しない努力

 

┃他人を「理解する」ことで起きるトラブル

 
あなたのまわりには、
 
「誰かに理解してもらいたい」
 
と必死に自分の苦しさを訴えている人がいますか?
 
理解してもらいたくても、なかなか理解してもらえない悩み。
 
そんな複雑な悩みを抱えている方が、身近におられますでしょうか。
 
私は、その複雑な悩みを「わかりにくい不幸」と呼んでいます。
 
参照:「わかりにくい不幸」
 
私たちは、他人が抱える「わかりにくい不幸」を自分なりに理解して、
 
「それはたしかにつらいなぁ」
 
と思いやってあげることがありますよね。
 
それなのに相手からは
 
「わかってくれていない!」
 
と言い放たれてしまい、怒りや悲しみを覚えることがあるのではないでしょうか。
 
また、相手の苦しみを自分なりに理解したからこそ、
 
「そんなことくらいで悩むなんて」
 
「甘えてるだけなんじゃないの」
 
「みんな我慢して生きてるんだよ」
 
といった気持ちが浮かんでくることはないでしょうか。
 
そしてじっさいに、その相手を励ましたり叱ったりする。
 
その結果、相手がますます心を閉ざしてしまうこともありますよね。
 
どちらのパターンも、相手の苦しさを「理解する」ことによっておきたできことです。
 
つまり、相手の気持ちを「理解した」と思ったからこそ、怒りや悲しみが生じ、相手が心を閉ざす結果となったわけです。
 
そこで提案したいのが「理解しない努力」です。
 
相手の苦しみに触れて、心の底から同情の気持ちがわいてきたとき。
 
また、相手の苦しみに触れて、叱咤激励の言葉が浮かんできたとき。
 
そのまま言葉にする前に、「私は本当に理解できているだろうか?」と踏みとどまってみることをオススメしたいのです。
 
つまり「安易には理解しない努力」をして欲しいのです。
 
なぜなら、私たちは決して他人の心を体験することができないから。
 
他人の人生を一秒たりとも経験することができないからです。
 
 

┃「理解する」よりも「理解しようとする」ことが大切

  
「理解する」という感覚は、他人の心が自分と同じようなものであるという前提に立つことによって、成り立つ考え方ではないでしょうか。
 
また、他人の人生は、おおよそ自分と同じようなものであるという前提にも立っているでしょう。
 
しかし、じっさいのところ私たちは、他人の心も人生も決して体験することができません。
 
だから、私は思うのです。
 
「理解する」ことよりも「理解しようとする」ことのほうが大切なのだ、と。
 
相手の苦しみを理解したと思うよりも、理解しようとしつづけることに価値がある。
 
なぜなら、理解したと思ってしまうことは、その時点で相手に共感しようとする努力を止めてしまうことになるからです。
 
だから「理解した」と思っても、あえて勇気をもってその気持ちを疑う。
 
「安易に理解しない努力」をして欲しいのです。
 
そして「理解する側」を超えて、「理解しようとする側」にまわって欲しいのです。
 
 

┃「理解しようとする側」に踏みとどまる

 
犬は、飼い主が悲しんだり落ち込んだりしていると、急にそばに来て寄り添ってくれることがあります。
 
涙を流していると、それをペロペロと舐めてくれることもあります。
 
彼らは人間である自分とはまったく違う生き物です。
 
だから、こちらがなにに悲しんでいるのか、さっぱりわからないでしょう。
 
どうして落ち込んでいるのか、まったく見当もつかないはずです。
 
それどころか、悲しんでいるのか、落ち込んでいるのかすらわかっていないかもしれません。
 
ただ、なんとなくいつもと様子が違うことだけはわかる。
 
なにか元気がなさそうだということだけはわかる。
 
なにに悲しんでいるのか理解できないし、どうして落ち込んでいるのかは理解できない。
 
悲しんでいるのか、落ち込んでいるのか、どんな状態なのかも理解できない。
 
でも、つらそうだから、苦しそうだから、なんとかしてあげたいと思う。
 
今の自分にできることをしてあげたいと思う。
 
理解できないけれども、なんとか相手をいたわり、思いやり、そばにいてあげたいと思う…。
 
それが「理解しようとする側にまわる」ということ。
 
「理解する」ことに価値があるのではない。
 
「理解しようとすること」に価値があるのです。
 
私たちはなまじ言葉を使うために、相手を容易に「理解する」ことができると思ってしまいます。
 
しかし、じっさいには決してそんなことはありません。
 
完璧に理解することは不可能なのです。
 
だからこそ、常に「理解しようとする側」にまわりつづける。
 
「理解した」とおごらずに、「理解しようとする側」にとどまりつづけるのです。
 
それが「安易に理解しない努力」です。
 
理解することよりも、理解しようとしつづけること。
 
「理解しようとする側」にまわりつづけること。
 
そこに踏みとどまること。
 
これが、人と人が寄り添って生きていくなかで、 本当に大切なことなのではないでしょうか。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶ かつのり(信夫克紀)
 

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