超数派という新しい生き方

 

独自の生き方を表現した画像

 

植物が嫌いという病

 

第3回
誰もが多数派

 
前回までご紹介したように、私が「植物が苦手です」と誰かに表明すると、あらゆる角度からご心配をしていただいたり、おしかりや追及を受けます。
 
そして、こちらの意志はまったく確認されることなく、私が「病気」を「治したがっている」という大前提のもとで会話が進み、ハナから「治そう」と意気込まれてしまうのです。
 
しかし、私に限らず、自分がとてつもなく嫌悪しているものをわざわざ好きになりたいと思う人なんてまずいないと思うのですが、いかがでしょうか?
 
つまり、またゴキ○リを例に出すと、わざわざたいへんな苦労をしてまでゴキ○リをなでてかわいがれるようになりたいと思わないでしょうし、ましてやルンルンと鼻歌まじりに部屋に飾ったり、プレゼントされたら大よろこびするような人間になりたいなんて思わないのではないでしょうか?
 
どんなに心配されようが、しかられようが、追求されようが、「そうなりたいか」「なりたくないか」と問われれば、「そうなりたくない」と、ゴキ○リを嫌う誰もが答えるのではないでしょうか?
 
同じように私は、植物を好きになりたいとこれっぽっちも思っていないのです。
 
にもかかわらず多数派の人たちが私を「治そう」とその熱い鼻息をフガフガと吹きかけてくるのは、自分たちが「正常」だと信じているからであり、その「正常」な自分たちの感性に「異常」な私を近づけることが私を楽にすることだと信じ切っているからでしょう。
 
さらに、私が「正常」になることを心から望んでいるとまったく疑うことなく信じ抜いているからなのでしょう。
 
多数派に身を置く人たちは、自分の感性があまりにも他者と共通し類似しているため、それ以外の感性を「異常」だと感じてしまいます。
 
そして、その「異常」な存在にじっさいに出会うと
 
「皆が正常であるべき」
 
「皆が正常になりたいと思っている」
 
とごく自然に考えます。
 
しかも、それは無自覚であるため、意識のなかで言語化されず、検証されることがありません。
 
したがって、そのような「横暴」な信念について超数派が、
 
「横暴ですよ」
 
と述べて気づいてもらおうとしても、とうてい理解はしてもらえません。
 
たいていは腹を立てられてしまうだけです。
 
なぜなら、「治そう」としている多数派からすれば、純粋に相手を心配しているのであり、そしてそれが親切であると心の底から信じているからです。
 
本当は相手の感性を「全否定」しているということにも気づかずに。
 
だからと言って、そのような「全否定」のあつかいを受けた超数派は、多数派に面と向かってはなかなか抵抗はできません。
 
なぜならそれは、せっかくの親切を無にしてしまったということにされてしまい、「悪者」にされてしまうからです。
 
恩知らず、わがまま、甘やかされて育った、自己中心、エゴイストなどなど…。
 
超数派は、自分の感性を頭ごなしに「全否定」された上に、それを訂正すると腹を立てられて、しまいには「悪者」にまでされてしまうのです。
 
超少数派の「悲惨」、そして多数派の「横暴」、ここに極まれり。
 
しかし、多数派は決して反省することはありません。
 
固くかたく信じているからです。
 
自分たちこそが「正常」である、だから「異常」を「正常」にしようとしてなにが悪いのだ、と。
 
そしてじつは、かくいう私も、そんな「横暴」な多数派の一人として日々生きているのです。
 
植物についての感性では超数派ではあっても、その他の感性において、私も多数派に身を置きながら生きている点が多々あります。
 
自分の感性が周囲と大差なければ、誰もがその感性を「正常」だと感じ、知らずしらずのうちに「異常」な超数派に対して、自分の感覚を押しつけてしまっているのです。
 
じっさいに、私は「ゴキ○リは身の毛もよだつほど気味の悪いものである」という自分の感性にもとづき、誰もがそう感じているかのような大前提に立ってたとえ話をしてきました。
 
しかしゴキ○リをかわいくて仕方がないと感じ家で飼おうとしても家族に理解されず、悶々としている超数派もいるでしょうし、反対に、あまりにも気味が悪いと感じすぎて、かわいがれるほど好きになりたいと思っている超数派もいるでしょう。
 
私自身、そのような超数派の「異常」な感性をまったくないがしろにして話を進めてきたのです。
 
すべてが赤色に染まった世界で、「あなたの顔は赤色です!」と指摘しても、首をかしげられるだけでしかない。
 
そして、指摘した当人が赤い仮面をとり青色の顔を見せた途端に、周囲の人たちは「たいへんだ!赤色に染めなさい!」と自分たちの側へと取り込もうとする。
 
なぜ青いのかを理解しようともせずに。
 
そして、赤くなりたいのかを決して確かめようともせずに。
 
植物についての感性において多数派である皆さん。
 
いつも超数派の私を「治そう」と心配していただき本当にありがとうございます。
 
でも、風邪薬はじっさいに風邪をひいて困っている人にすすめてあげてください。
 
そしてもうこれ以上、風邪をひいていない私に、ムリヤリ風邪薬を飲まそうとするのはやめてください。
 
私は、いたって「正常」なのですから。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶ かつのり(信夫克紀)
 

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