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超数派という新しい生き方

 

独自の生き方を表現した画像

 

植物が嫌いという病

 

第6回
超数派にとっての真の「実害」とは?

 
超数派にとっての真の「実害」とはいったい何か?
 
これまでも述べてきたとおり、私は植物嫌悪症という「病気」が原因で、できないことや行けない場所がたくさんあります。
 
植物は屋外屋内問わずどこに行ってもありますし、さまざまなものの柄にも使われています。
 
つまり、植物が嫌いという感性が「社会生活に密着している」ために大変不便をしていますし、やりたいことができない場合も多くあります。
 
しかし、じつはそのことを、「実害」だとは感じていないのです。
 
植物に対しての不快な感情は、自分のもって生まれた感性ですのでとっくに受け入れることができています。
 
その感性を圧殺してまでも行きたい場所ややりたいことなどはありません。
 
「植物嫌悪症」はすっかり自分自身と同化し、人生を味わい深いものにしてくれる存在として愛着すら感じているのです。
 
本当の「実害」は、その感性を社会生活の中で人々と調和させるのが困難なこと。
 
自分の感性を少しでも出したときに生じる、他人との面倒なやりとりや処理こそが本当の「実害」なのです。
 
つまり「植物嫌悪症」という超数派の私にとって、真の問題は植物の方ではなく人との関係の方だということ。
 
「社会生活に密着している」だけでなく「多数派と正反対の感性」であるがために、日常の中で人とのあいだに、これでもかこれでもかと面倒が起きるのです。
 
植物が苦手なため、私が、
 
「大変申し訳ないですがその小さな鉢植えをどかしてもらえませんか」
 
と言っても、
 
「私も一緒に過ごしたいのですがここには座れないのです」
 
と言っても、
 
「この花束はうれしいのですが受け取れないのです」
 
と言っても、
 
「あ、なるほど!」
 
とすんなりとは了解してもらえません。
 
それをきっかけに心配されたり、しかられたり、厳しく追及されたりして、とにかく「治そう」とされる。
 
また、露骨に笑われたり、いまいましそうに対応されたり、我慢を強要されたり、挙句の果てに、
 
「へー!珍しいっすね!!」
 
と、街なかで偶然カルガモ一家の行進を見たかのように満面の笑みでうれしそうに言われ、根ほり葉ほり聞かれたうえに、こちらの要求を忘れられたり無視されてしまうことも多々あります。
 
とにかく面倒および不愉快の嵐がゴォゴォと吹きすさぶのです。
 
私に「実害」をもたらすのは、植物の方ではなく人の方なのです。
 
「じゃあなにか、お前は自分が特別だから、植物が好きな我々に、もっとお前をいたわれ、もっと気をつかえと要求するのか!」
 
まあお待ちください。
 
そのセリフも、耳にできたタコでタコ焼きが300パックできるくらい聞いたセリフなのですが、私は決して「多数派の人」に向けて、そんな単純なゴリ押しをしたいわけではありません。
 
多数派の人たちに愚痴ったり要求するよりも(もう十分してしまいましたが)、「超少数派として苦しんでいる人」に向けてある有意義な提案をしたいのです。
 
次回は、その提案について述べさせていただきたいと思います。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶ かつのり(信夫克紀)
 

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