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超数派という新しい生き方

 

独自の生き方を表現した画像

 

植物が嫌いという病

 

第9回
言ってるそばから…

 
私も、人並みにですが旅行をしたことがあります。
 
しかし、今はほとんど行かなくなりました。
 
理由はとても簡単で、
 
「ゆったりほっこり日光温泉宿の旅」
 
に出かけたはずが、
 
「ハラハラドキドキアマゾン秘境の旅」
 
へと自動的に変わってしまうからです。
 
私の植物嫌悪症は、実物だけではなく造花もふくまれますし、インテリアに使われている植物柄も含まれます。
 
そのため私にとって宿泊先のホテルや旅館は、どこに危険な「大蛇」や「毒グモ」が潜んでいるかわからない危険地帯と化してしまうのです。
 
居室、ロビー、レストラン(食道)、大浴場はもちろんのこと、そこで使われているカーテン、布団、カーペット、壁紙、タオル、襖(ふすま)、壁にかけられた絵画や掛け軸の絵など、いったいどこからヤツらが襲いかかってくるかわかりません。
 
なんどとなく試してみましたが、そんななかで「ゆったりほっこり」するのは私にとっては不可能なのです。
 
そんなの電話して事前に確認すれば早いだろうって思いますよね?
 
たしかにそう感じるのもごもっともなのですが、二つの理由でそれは現実的ではないのです。
 
まず一つ目は、チェック項目が多すぎるということです。
 
先ほど挙げたような項目を一軒につき一点ずつ確認するだけでも相当な時間と体力と電話代を必要としますし(現在はネットがありますが)、カーテンや襖の柄までは旅館やホテルの受付の人も覚えていないのです。
 
二点目は、申し訳ないのですが、事前に確認したとしても「あてにならない」ということ。
 
電話で事情を説明して館内を確認してもらい、「大丈夫です。」と言ってくれたので予約して行ってみると植物がたくさん置いてあることもありますし、忙しいお仕事ですから当然ですが館内を調べることなく「大丈夫です。」と返答されることがほとんどです。
 
それでも、
 
「少な目だとは思います。」
「ちょっとそこまではわからないですね。」
 
と正直に答えてくれる人はよい方で、
 
「たぶん大丈夫です!」
 
と曖昧な内容を元気よくハキハキ即答してしまう人もいます。
 
つまり、まともにあつかってもらえないことが多いのです。
 
ましてや自分の主催ではない旅行の場合、他の方に事情を説明したうえで予約をお願いするわけですが、行ってみると、もはやロビーからモジャモジャで、布団や襖が植物柄なのは当たり前、レストランや大浴場に「ぜんぜんふつうに」巨大な植物が置かれていることもよくあります。
 
そういう場合は、露骨に嫌な顔をすると予約の労をとっていただいた方に忍びないので、息を止めて目をつぶってロビーを駆け抜けたり、同室の人に事情を話して床に寝てタオルをかけて襖の模様をカバンや書類で隠して寝たり(一睡もできませんが)、風呂に入るのをあきらめて過ごしたりします(温泉旅行なのに)。
 
そこで、旅行に行くためにはそのような事態を避けるために、事前に館内に植物が比較的少ない物件(まったくないところは見たことがない)を探さなければなりません。
 
今でこそインターネットのWEBサイトが充実しているのでなんとなく目星がつけられますが、それ以前のWEBサイトがショボかった時代やネットそのものが普及していなかった時代には、旅行雑誌に乗っている小さな写真を凝視しながら推測するしかありませんでした。
 
たとえば、旅館入口が植木鉢で埋め尽くされているということは、館内が狭く、植物はほとんど置けないのではないか?
 
いや、逆にこの置き方にはこだわりを感じるから、女将さんがよほどの植物好きで館内も植物で埋め尽くされているのではないか?
 
もしそうだとしても、この種類を好んで置いているのであれば、ロビーに置いてあるていどならサングラスをかけて目を細めればとおり過ぎることができるのではないか?
 
室内写真に写っているこの布団の小さな柄、これは花柄ではないのか?
 
大浴場の奥に見える黒い影は植物の陰影ではないのか…。
 
予約の電話を入れる前にこれらの作業を念入りにくり返し、「ここだ!」と思ったところに予約を入れるのです。
 
そして、その労力虚しくだいたいのホテルも旅館もロビーは植物だらけで、到着してからその「おぞましいロビー」を息を止めてくぐり抜けて、「部屋は大丈夫だろうな?おい?」と内心怯えながら部屋に案内されることになります。
 
こればかりは、どんなに研鑽を重ねても的中させるのには限界があり、到着するまで、そして館内の施設をひととおり使うまでは、毎回ハラハラドキドキすることになるのです。
 
ただ、ここまでご紹介したようなエピソードは、超数派として生きていれば、「当り前のこと」の範疇だと言えるでしょう。
 
だからとても面倒なので、そこまでして旅行に行かなくなったわけですが、行くとなったらこれらの体験を味わい尽す覚悟が必要です。
 
それこそが、超数派として生きることをみずから選ぶということ。
 
今後なんども同じことを述べることになりますが、これらの苦難は超数派だからこそ体験できるまさに貴重な体験であり、自分の人生を豊かに充実させてくれる掛けがえのない財産なのです。
 
広々とした大浴場の端に一つある小さな植木鉢が目に入らないように、太い柱でしっかりとその姿を隠し、微動だにせず、冷や汗を流しながら温泉につかり、
 
「この温泉の湯に、こんなにもおぞましさを感じつつ、いっさいくつろげずにつかっている人間は俺だけだろうな。もしかして、人類史上初かも知れない。」
 
と感じることは、そのときは苦痛でしかありませんが、その後に私の人生をにしてくれる、とても味わい深い「レアな人生」の大切な要素となるのです。
 
問題になるのは、私の例で言えばそのような「植物」がもたらす局面よりも、旅行のときに「人」との間で発生する局面の方です。
 
たとえば「言ってるそばから…」という問題。
 
以前もこんなことがありました。
 
インターネットで室内まで完全に見ることができるホテルがあったので、そこで「この部屋でお願いします。」と部屋番号を指定して予約しました。
 
これはさすがに安心できると思って出かけたのですが、現地に着いてみると空室があったとのことで、ホテル側が「アップグレード」しておいてくれたとのこと。
 
そして「壁紙が全面、植物柄」という、とっても素敵な部屋にとおされました。
 
いやー、もうね、悪魔の住処かと思いましたよ。
 
もちろんお願いをして「ダウングレード」してもらったのですが、そこで起きたのが「言ってるそばから…」問題。
 
ホテルの案内係の方が、たいへんていねいに、
 
「植物のことについて事前にうかがっていたのに、それは本当に申し訳ないことをしました。ただいま手つづきをしておりますので、こちらでお待ちください。本当に申し訳ありません。」
 
と、植物のたくさん置いてあるロビーの、大きな植物の横にある椅子に案内してくれました。
 
このようなケースは珍しくなく、本当によくあることなのです。
 
悪気もなければ仕方もないとわかっているがゆえに、腹を立てるわけにもいかない。
 
単純にこちらの感性が「まったく」通じていないことを痛切に感じざるをえない瞬間です。
 
そしてここがまさに超数派として生きる道を選ぶ分岐点。
 
ここでいったいどう対応することで、自分の人生を豊かにしていけるのか?
 
あなたならどんな対応をなさいますか?
 
次回は、その分岐点での具体的な対応についてご紹介してみたいと思います。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶ かつのり(信夫克紀)
 

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