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超数派という新しい生き方

 

独自の生き方を表現した画像

 

植物が嫌いという病

 

第13回
とことんやる、納得するまでやる、全力でやる

 
前回述べたような、双方に責任がないという受容を試みても、「仕方なかったのだ」と納得できない場合があるかもしれません。
 
そのようなときに頭に浮かぶのはきっと、
 
「ただ、あきらめただけじゃないのか?」
 
「責任逃れの言い訳に過ぎないのではないのか?」
 
「トラブルを回避したかっただけじゃないのか?」
 
という疑いの問いかけです。
 
このような問いかけに答えて、自らを納得させることはとても難しいでしょう。
 
なぜなら、理屈で答えて納得できるようなら、そもそも問いかけ自体が浮かんでこないはずだからです。
 
ゆえにこの問題を解決するためには、問いかけにどう答えるかではなく、問いかけ自体が浮かんでこないようにするしかありません。
 
それにはいったいどうしたらいいのか?
 
方法はただ一つです。
 
とことんまでやる。
納得するまでやる。
しかも全力でやる。
 
これには二つの意味があります。
 
一つは「実害を解消するための対処」をとことんまでやる、納得するまでやる、全力でやるということ。
 
もう一つは、「葛藤」をとことんまでやる、納得するまでやる、全力でやるということです。
 
超数派として生きることを選んだのであれば、日々「実害」が我が身にふりかかってくるでしょう。
 
それを予防しようとすること、的確に対応しようとすること、克服しようとすることといった、「実害を解消するための対処」を徹底的にやってみる。
 
あらゆる選択肢を考え抜き、実践し、トライアル&エラーをくり返して、それでもなおトライする。
 
それをつづけた果てに、もう無理だという限界を感じ、それでもなおつづけてみる。
 
そしてもう本当にこれ以上は不可能の領域だ、これ以上は「Don’t」ではなく「Can’t」なのだと認めざるをえず、打ちのめされ思い知らされたその果てに訪れる「納得」。
 
その「納得」を得たときにはじめて疑いの問いかけが消失し、「仕方なかったのだ」と無責任という解決法を受け容れることができるのです。
 
そしてそれを実現させる動力が、「葛藤」だと言えるでしょう。
 
たとえ「実害」を解消するトライをつづけようと思っても、どこかでその結果に満足してしまったら、次なるトライは必要がなくなり、新たな選択肢を模索することはなくなるでしょう。
 
それは自分の「深化」を止めてしまうことに他なりません。
 
自分が取り組んだ実践と、次に取り組む実践をつなぐ強力な引力、それが「葛藤」なのです。
 
ゆえに「葛藤」も、とことんまでやる、納得するまでやる、全力でやる必要がある。
 
その絶え間ない「葛藤」の連鎖こそが、ゆるぎない「納得」をもたらしてくれるのです。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶ かつのり(信夫克紀)
 

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