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この世界を知り、生きづらさから脱け出す

 

Brain with Soul現象

 


第15回
扁桃体の本質

 
前回お話ししたとおり、世界の性質を決めているのは『事実』だけではなく『扁桃体』だと言えるでしょう。
 
もしあなたの扁桃体が敏感であれば、世界はそれだけネガティブな性質をおびやすくなってしまう。
 
それはあなたのせいではなく、生まれつきの扁桃体の敏感さや育った環境のせい。
 
あなたが悪いわけではありません。
 
しかし、なぜかあなたが責められてしまうことが多い。
 
あなたが弱音を吐くと、弱い、情けない、甘えるな、もっと頑張れ…、と。
 
なぜこのような不条理なことが起きるのでしょうか?
 
これこそが、扁桃体が敏感な人と社会とのあいだにある大きなギャップ。
 
そしてそのギャップの中にこそ、
 
『扁桃体の本質』
 
が隠されているのです。
 
その本質を理解すれば、あなたはもう人からなにを言われようとも、心が敏感な自分を責める必要はなくなります。
 
扁桃体が敏感であることを恥じることはなくなるでしょう。
 
私たち社会を構成する人間は、苦しんでいる人と、苦しんでいない人とを分けて考える傾向がありますよね。
 
その基準は、その人の抱えている経験や障がいなどの『事実』に基づいています。
 
○○という『事実』があるから苦しいだろう、と。
 
たとえば、虐待を受けた過去がある、体に障がいがある、幼いころ親が離婚したなど。
 
こんなふうに、人間にとって苦しいと感じること、つまり『苦しい事実』を常識として暗黙のうちに共有しています。
 
「この人はこの事実があるから苦しいだろう」と。
 
そして「この事実が重ければ重いほど苦しいだろう」と。
 
さらに「この事実に当てはまらなければたいして苦しくないだろう」と。
 
ここに私たちの社会がもつ、大きな勘違いが潜んでいます。
 
その勘違いのせいで、次のような感覚が生じてくるのです。
 
「そんなことくらいで弱音を吐くなよ!」
 
「虐待を受けても頑張ってる人がいるんだぞ!」
 
「体に障がいがあっても頑張っている人がいるんだぞ!」
 
「親が離婚しても頑張っている人がいるんだぞ!」
 
つまり「甘えるなよ!」という感覚です。
 
私にもあなたにも、誰のなかにも少なからずこのような感覚が存在しているものではないでしょうか。
 
しかし、前回お話ししたとおり、苦しいか苦しくないかを判断するのは、『事実』そのものではありません。
 
判断するのは『扁桃体』です。
 
ということは、誤解を恐れずにあえて極端に書けば、虐待を受けたことがあっても、体に障がいがあっても、親が離婚していても、そのことによってどれだけ苦しむかは人それぞれだということ。
 
すべては『事実』ではなく『扁桃体』がどう判断するのかだということです。
  
そう考えると、世間の視点で共有している『苦しい事実』だけでは、苦しみの判断基準にはなりえません。
 
扁桃体の敏感度こそが、すべての苦しみの最終的な判断基準。
 
苦しいか苦しくないかを分ける分岐点。
 
つまり、あらゆる事実を貫通して存在する苦しみの絶対的な基準なのです。
 
しかし、それがこの社会の中ではまったく認識されていません。
 
だから、社会が共有している『苦しい事実』を経験しているかどうかだけで、その人が苦しんでいるかが判断されてしまう。
 
その『苦しい事実』が、世間の常識として「たいしたことがない」のなら、苦しんでいる人が弱い、だらしない、情けない、甘えているということになってしまうのです。

私自身の体験からも言えますが、たしかに虐待経験は苦しい。
 
虐待そのものも苦しいですが、その後の後遺症も本当に苦しい。
 
また、私はカウンセラーという仕事上、先ほどの例にあるような、体に障がいがある人、親の離婚を経験した人からもたくさんのご相談をいただいています。
 
みなさん、苦しんでおられます。
 
体の障がいそのものも苦しいし、その障がいを理解されないことも苦しい。
 
幼い頃の親の離婚自体も苦しいし、その心の傷を抱えて生きることも苦しい。
 
これらはたしかに『苦しい事実』です。
 
誰もができれば避けたい事実でしょう。
 
しかし、そんな『苦しい事実』を抱えているにもかかわらず、ケロっとしている人もいる。
 
一方、世間で「たいしたことない」と言われるようなことでも、悶絶するほど苦しんでいる人もいる。
 
そう。
 
『苦しい事実』それ自体では、その人のもつ苦しみは判断できないのです。
 
その人の『扁桃体』が、どれほど敏感かによって苦しいかどうかが決まるのですから。
 
すべての事実を横断して存在している苦しみの判断基準。
 
これが『扁桃体』の本質なのです。
 
ではなぜこんなに重要なことが、社会で勘違いされたままになっているのでしょうか。
 
なぜ、表立って語られることがないのでしょうか。
 
それは、この事実を認めてしまうと、社会の秩序が根底から崩れてしまうからです。
 
自分に都合の悪いことがあれば、「扁桃体が敏感なんで」と言えば済まされることになってしまいます。
 
また、どんなに『苦しい事実』を努力で克服して社会で大成したとしても、「扁桃体が丈夫だっただけでしょ」と言われることになってしまいます。
 
ずるい人には悪用され、努力した人は報われません。
 
だから、『扁桃体』ですべてが決まるということを、私たちの社会は認めるわけにはいかないのです。
 
あくまでも苦しいか苦しくないかは『苦しい事実』によって決まり、苦しいか苦しくないかは自分の『強い意志』でコントロールできるものであり、それができる人はすごい人であり、それができない人は、意志が弱い、だらしない人、情けない人ということになるのです。
 
つまり、苦しいか苦しくないかは「自分の努力次第でなんとでもなること」なのだから苦しがるなということになるのです。
 
しかし、くどいようですが苦しいか苦しくないかは、『扁桃体』が自動で決めることです。
 
これを苦しがるなというのは、腕に針を刺されて「痛いと思うな」と言っているのと同じことです。
 
まったくもって無理な相談なのです。
 
努力ではどうにもなりません。
 
だから、もしあなたが今苦しいと感じているのならば、それは他の人からとやかく言われる筋合いのことではないのです。
 
逆に、その敏感な『扁桃体』で今日まで生き抜いてきた強さを誇るべきでしょう。
 
恥じるどころか、誇るべきところなのです。
 
そしてこの扁桃体のもつ特性を活かして「心地よい人生」を目指していけばいいのです。
 
それこそが「扁桃体をいたわる生き方」です。
 
扁桃体が敏感な人ならではの、扁桃体が敏感な人にしか生きられない、感動にあふれた人生がある。
 
敏感な『扁桃体』には、それを可能にする「能力」が秘められているのですから。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶかつのり(信夫克紀)
 

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