生きづらさから脱け出す覚悟の決め方

 

人生の原液を飲む覚悟を決めた画像

 

人生の原液を飲んで生きる

 

第2回
ルールはない

 
あなたも、私も、
常に何らかの『ルール』
したがって生きていますよね。
 
すぐに頭に思い浮かぶのは、
法律かもしれません。
 
その法律というルールで、
禁止された行動をとると。
 
罰を受けることになります。
 
とても『明確なルール』です。
 
スポーツのルールや
校則なども明確なルールですよね。
 
それ以外にも、
道徳やマナーという、
 
『暗黙のルール』
 
も存在します。
 
例えば私たちは、
コンビニで買い物する時、
 
入口から店内に入り、
品物を持って、
レジ前に順番に並び、
品物をすべてレジで渡し、
日本円を支払って、
品物をすべて受け取って、
出口から出ていきます。
 
これは、当たり前の
ことのように思えます。
 
しかし、これらすべてが、
店頭に「こうしてください」と
書かれているわけではありません。
 
そういうものだという、
 
『暗黙のルール』
 
が成立しているわけです。
 
このような、
明確なルールも、
暗黙のルールも。
 
あなたがそれを破れば、
周囲の人は憤り、あなたを責め、
あなたを、
 
「バカな人間」
「ひどい人間」
 
と決めつけてくるでしょう。
 
だから、
 
これらのルールを守ることが
『常識』であり、
 
その『常識』自体が、
社会の大きなルールとして、
目に見えぬ形で存在しているのです。
 
私たちは、
『常識』というルールからはずれぬよう、
 
その他のルールも守り、
時にはそれらに頼ることすらあります。
 
そして、
生きづらさを抱えている人ほど、
この、
 
『ルールを守る、ルールに頼る』
 
という傾向がとても強いのです。
 
だからこそ、
生きづらさを抱えた人は。
 
次の事実を、
受け入れる必要があります。
 
 
『この世にルールはない』
 
 
ルールには、
それを決める根拠が必要です。
 
例えば、
 
条例には法律が、
法律には憲法が、
憲法には道徳が、
道徳には人間の誇りが、
そして自然の摂理が、
神の愛が、世界のはじまりが…
 
というように、
一つ上のレベルに根拠が存在し、
 
それをたどっていくと、
どんどんとメタレベルがあがっていきます。
 
そして。
 
それぞれの根拠の中に、
 
「なぜそのルールが正当なのか」
 
という明確な理由が、
用意されているわけです。
 
ただし、
その理由をたどっていくと。
 
やがてどのルールも、
最後には必ず、
 
“あること”
 
を問わなければならなくなります。
 
それは、
 
“なぜこの世界が存在しているのか”
 
というもっとも大本の根拠です。
 
しかし。
 
この答は、
誰にもわかっていません。
 
そう。
 
肝心な一番大本の根拠が、
まったくもって不明なのです。
 
すべてのルールを正当化する、
根本の理由が存在していないのです。
 
にもかかわらず、
私たちはルールをつくってしまい、
それを基準に生きています。
 
例えるならこれは、自分たちが、
何のスポーツをやっているのかも
解っていないのに、
 
「今のはアウトだ」
「いやオフサイドだ」
「いやKOだ」
「いや押し出しだろ」
 
と言い合っているようなものです。
 
つまり、この世界には、
誰かがルールと言い張ってるものや、
ルールっぽいものがあるだけ。
 
本当に正しいルールなんて無いなのです。
 
『暫定のルール』しか、
存在していない。
 
その中で、
特に疑問も持つことなく、
 
「ルールをしっかり守らなくてはならない」
「ルールにしたがっていれば何とかなる」
 
という風に、無自覚にでも、
ルールを基準に生きてしまえば。
 
そのルールを決めた人の都合に、
振り回されてしまうだけです。
 
そして、自分の意志よりも、
ルールを優先させつづけて、
 
「何かおかしい」
「何か息苦しい」
「何か生きづらい」
 
という状況におちいってしまうのです。
 
だから。
 
生きづらさから脱け出すためには、
 
「この世にルールはない」
 
という人生の原液を、
飲み干す覚悟をしなければなりません。
 
これは、
『ルールを守らない』
ということではありません。
 
ルールを守る前に、
まずそれが暫定ルールだと
認識することが必要なのです。
 
次に、しっかりと、
その暫定ルールの内容を熟知する。
 
そして、
その暫定ルールを守るかどうか、
 
『自分の明確な意志で選ぶ』
 
ということです。
 
憲法だろうが、法律だろうが、
マナーだろうが、常識だろうが、
親の言いつけだろうが、道徳だろうが、
 
まずそれを疑ってかかる。
 
しょせん暫定ルールだと知る。
 
その上で、
自分がそれを受け入れるのかどうか、
自分の意志で決める。
 
それが、
 
『ルールのない世界』
 
で生きる覚悟です。
 
この世界にもとからあるのは、
ルールではありません。
 
あるのは法則とゆらぎだけです。
 
サッカーに例えれば、
 
法則とは、
ボールを蹴っ飛ばしたら、
上に飛んで下に落ちるということ。
 
ゆらぎは、
気まぐれにグラウンドに吹きこむ
風のようなもの。
 
ルールのように守ったり、
破ったりできるものではなく、
嫌でもそうなってしまうもの。
 
自分の力では、
どうにもならないものです。
 
それ以外の決まりごとがルール。
 
手を使ってはいけない、
フェアプレーをしなくてはいけない、
ボールを敵ゴールに蹴り込んだら1点…。
 
そして、
そのルールを守るかどうかは、
あなたが決めることができる。
 
自分の思いどおりにプレーできるのです。
 
手でボールを持つこともできるし、
他の選手を突き飛ばすこともできる、
何ならボールではなく靴をゴールに蹴り込むこともできる。
 
いや、ずっと寝ているこもとできる。
 
ただし。
 
それでは、
 
『サッカーの試合に勝てない』
 
というだけのことです。
 
自分たちは
サッカーをしていると信じて疑わず、
サッカーのルールを守っている人たちから、
 
イエローカードを出されたり、
退場させられたり、
永久追放されたりするだけ、ということです。
 
日本社会で言うなら、
 
収入が減ってしまったり、
刑務所で一生を終えたり、
死刑になるということかもしれません。
 
だから、
どのルールを守るのかを、
自分で考えて決める。
 
法則を味方につけ、
ゆらぎを想定し、
どの暫定ルールを守りたいと思うのか。
 
そのサジ加減を、
自分で『選び取って』人生をプレーする。
 
それこそが、
生きづらさから脱け出すために、
絶対に欠かせない第一の覚悟なのです。
 
 
Brain with Soul代表
信夫克紀(しのぶ かつのり)
 

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