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迎合してしまう

 

迎合してしまう

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虐待の後遺症

 

第4回
迎合してしまう

 
ここまで、人に嫌われてしまうという問題を通して、虐待の後遺症をあぶり出してきました。
 
それは主に、
 
・迎合
・攻撃
・自己顕示
・心の領空侵犯
 
という4つの心の癖でした。
 
今回はこの中から、『迎合』という虐待の後遺症について、詳しくみていきたいと思います。
 
『迎合』の事例をあげながら、その後遺症が生まれてきた理由を解き明かし、『迎合』という後遺症を乗り越えるための、具体的な対処法を解説していきます
 
『迎合』は、虐待被害者の人生におけるあらゆる場面に顔を出しています。
 
特別意識をしていなくても、自分の意志や感情より、相手の顔色や場の空気を優先して、自然と相手にすり寄り、へりぐだるような行動をとってしまうのです。
 
例えば…、
 
とくに親しくもない人に、
 
「私ってすぐ落ち込むタイプだから」
「資格も特技も何もない人間だから」
 
と自分の弱みをチラチラと見せる。
 
初対面の人に、
 
「私はシングルマザーだから」
「親が離婚して鍵っ子だったから」
 
と現状や生い立ちの苦労を話す。
 
許せないと思い相手を責めても、相手が本気で怒り出すと、途端にたじろいでしまい、あっさり引き下がる。
 
もし相手が謝ったとしても、次に会った時にハグをしたり、ずっと隣から離れなかったり、相手が不審に思うほど、怒ったことへのケアをする。
 
やたらと礼儀正しく振る舞い、元気に何でも引き受けて、必要以上に丁寧な言葉のメールを時間をかけて書く。
 
たいして歳の離れていない相手に、
 
「どうしますボス?」とか、
「○○さんは、カリスマだから」
 
と、異常なほど持ちあげ、周囲が不自然さを感じるくらいに、とにかく相手を褒める。
 
相手に文句を言われると、
 
「私がいつもの早とちりをしてしまった」
「強く言ってもらって目が覚めた」
 
と大きな反省の色を前面に出しながら、すぐに納得をする。
 
同じ歳の人であっても、相手が不機嫌な表情になると、
 
「ここはこれでいいですか?」
 
と突然敬語になったり、
 
「お茶でも入れようか?」
 
とやたらと気を使う、などなど…。
 
いかがでしょうか。
 
あなたも、このような傾向がありますか?
 
確かに『迎合』とも言えない事例が混ざっていますよね。
 
相手を思いやっていれば取る行動もありますし、優しい気づかいで取る行動も含まれています。
 
だから、行動そのものが『迎合』かどうかを決めるわけではないのです。
 
重要なのは、『動機』です。
 
『動機』が『迎合』ならば、その行動は『迎合』になるということです。
 
これは一見、当たり前のようですが、虐待被害者にとって、この見極めがとても難しいのです。
 
もし先ほどご紹介した事例の中に、あなたにも思い当たることがあり、
 
それが、相手の同情を引いたり、許してもらったり、自分を受け入れてもらったり、良く思ってもらい、
 
相手にすり寄るための行動になっているのなら、それは『迎合』だということです。
 
つまり、相手との対立を避け、今、自分の最大限の安全を確保するためだけにとった行動なら、それは、どんな行動でも、
 
『迎合』
 
になるのです。
 
先ほどの事例を、そのような視点でもう一度見てみましょう。
 
自分の弱みを見せたり、生い立ちを話すのは、同情を引くためではないのか?
 
そんな自分を、相手が受け入れてくれるか、確認するためではないのか?
 
そして、今後、何か出来ないことがあっても、その弱みや生い立ちがあるからだと事前に許しを得ておくためではないのか?
 
相手が怒るとすぐ引きさがるのは、納得したからではなく、怒りを鎮めてもらい、許しを得るためではないのか?
 
謝った相手を異常にケアするのは、相手を気遣っているわけではなく、良く思われたいからではないのか?
 
やたらと礼儀正しいのも、必要以上に丁寧なメールを書くのも、早々に受け入れてもらい、自分の立ち位置を確保するためではないのか?
 
相手を異常に持ちあげ、褒めるのも、本心からではなく、相手に良く思われ、味方として受け入れてもらいたいからではないのか?
 
相手から強く言われて必要以上に反省を示してしまうのは、本心から反省しているわけではなく、それ以上ことが荒立たないように、許しを得ようとするためではないのか?
 
相手が不機嫌になると敬語を使うのは、どちらが悪かろうが、相手をそれ以上怒らせないためで、お茶を入れたりするのは、気づかっているわけではなく、自分が原因ではないと確認するためではないのか?
 
つまり、その行動の『動機』は、相手と対立しないためではないのか?
 
相手にすり寄るためではないのか?
 
もしそう感じるのであれば、それは『迎合』なのです。
 
そしてそれこそが、虐待の後遺症なのです。
 
徹底的に相手との対立を予防し、回避するのです。
 
なぜなら、対立せずにすむ状態を確保しつづけることによって、自分の、
 
『身の安全』
 
が守られるからです。
 
自分の『安全』を確実なものにするために、対立を避け『迎合』するのです。
 
虐待被害者は、心の底からの『安全』を感じることができません。
 
仕事であっても、家庭であっても、日常生活のいたるところで、『安全』を感じることができず、
 
常に身を固め、心を固め、無自覚のうちに自らを防御しています。
 
しかし、これでは、心も体も疲れ果ててしまいます。
 
生活にも支障が出て、心や体の病になってしまうかもしれません。
 
だから、ノドから手が出るほど、『安全』が欲しいのです。
 
『安全』が欲しくて欲しくてたまらないのです。
 
自分の心と体が、それをどうしても望んでしまうのです。
 
そして、対立を避けることの優先順位がつねに高く、どんな時も、しかも自然と無自覚のうちに、相手に『迎合』してしまうのです。
 
本当は自分が謝って欲しいときに、謝ってしまったり、
 
他のことをしていても、相手が自分をどう思っているかばかり気になってしまい、怒りや恐怖や後悔を蓄積させ、心と体がズタズタになっていくのです。
 
では、なぜそのようにひどく苦しくなることがわかっているのに、『迎合』をしてしまうのでしょうか?
 
どうして、『迎合』するようになってしまったのでしょうか?
 
次回は、『迎合』してしまうようになったそのメカニズムについて解説していきます。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
信夫克紀(しのぶ かつのり)
 

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