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「逃げるな」虐待

 

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虐待の後遺症

 

第17回
「逃げるな」虐待

 
迎合することを、どうしてもやめることが「できない」。
 
そんな『Can’tの自分』を受け入れて生きる人生。
 
それを実現するために「努力の方向」を変える
 
前回は、そのための方法をご紹介しました。
 
そしてその「方向」は、自分を極端に迎合させてしまう「環境」を徹底的に避ける生き方でもあると述べました。
 
ただし、いざその生き方を実現するために努力をはじめしようとしても、どうしても自分のなかに湧いてきてしまう反発の声があります。
 
それは、
 
「逃げることになるのではないか?」
 
という声です。
 
新たな人生の方向などとは言ってみたものの、これってやっぱりただ自分の嫌なことから逃げているだけなのではないか?
 
そんな反発の声が聞こえてきて、なかなか新しい「方向」へと進むことができないのです。
 
もちろんこのコラムでも、いきなり「自分を迎合させてしまうものを避けましょう!」とおすすめしてきたわけではありませんよね。
 
迎合を止める方法や、自分がこれまで努力してきたことを「とことん」まで思い知る方法や、それでも迎合してしまう自分を受け入れる方法もご紹介してきました。
 
つまり、もう十分やれることはやった、そしてそのことを身にしみるほど認めて受け入れることができたうえで、自分を迎合させしてしまう「環境」と手を切りましょうと言っているのだということは、あなたにもご理解いただけているかと思います。
 
にもかかわらず、いざその「環境」を遠ざけようと行動しようとしたとき、どうしても「逃げているだけではないか…」という疑念と後ろめたさが湧いてきてしまう。
 
そして「やっぱり、迎合しない自分になれるように努力するべきではないか」と考えて、努力の「方向」をもとに戻してしまい、迎合の衝動に苦しめられるという振り出しに戻ってしまうことがよくあるのです。
 
ではなぜ、『Can’tの自分』を受け入れたはずなのに「逃げているだけではないか…」という疑念がわいてきてしまうのでしょうか?
 
それは、その人に強く植えつけられた価値観が自動的にそうさせてしまうのです。
 
その価値観とは、
 
「逃げることは悪いことだ」
 
という価値観です。
 
逃げることは甘えている、逃げることは卑怯である、逃げることは弱さである…など、とにかく「逃げる」ということはよくないことなのだという価値観。
 
「逃げているだけではないか…」という疑念がわいてくる人は、その価値観を自分の心のなかに徹底的に刷り込まれてきてしまったのです。
 
そのような価値観は、いったい誰によって刷り込まれてきたのか?
 
それは、アニメや小説、映画といった物語かもしれませんし、テレビ番組や雑誌といったメディアかもしれません。
 
学校の先生や近所のおじさん、親戚のおばさんといった身近な大人たちかもしれません。
 
そのような社会的な環境全体によって、「逃げる」ことはよくないことだという価値観が刷り込まれてきたと考えられるでしょう。
 
しかし、ここまで苦しみ努力をつづけ、自分を受け入れてもなおそれを超えてまで「逃げているだけではないか…」と反発する声が、心のなかで強烈に鳴り響きつづけているのなら・・・。
 
それは、親によって日々くり返し植えつけられた価値観である可能性が非常に高いでしょう。
 
風邪で習いごとを休もうとしただけで「逃げ」だ。
 
試験期間中にテレビを見ていただけで「逃げ」だ。
 
大学ではなく専門学校に行きたいといっただけで「逃げ」だ。
 
どんなに当の本人にとって正当な理由があったとしても、聞く耳を持たれることなく、すべて「逃げ」の一言で片づけられて、親の望むように行動することを求められてしまう。
 
そんな、エゴイスティックな親によって「逃げているだけではないか…」という価値観が、深くふかく刻み込まれてしまってきたのです。
 
このように、なんでもかんでも「逃げ」だ「逃げ」だと言われつづけるということも、
列記とした虐待のひとつと言えるでしょう。
 
子供の意志や体調、限界がまったく考慮されることなく、子供の自尊心がつぶされているわけですから、当然のことです。
 
迎合という虐待の後遺症を抱える人は、そんな「逃げるな虐待」にさらされて生きてきた人がとても多いのです。
 
その結果として、みずからは限界だと感じてその「環境」から離れようと思っても、「逃げることは悪いことである」と自動的に反発してしまい、みずからにムチを打ちつづけ、無理をしつづけ、限界を超え、心と体を壊してしまうのです。
 
ここでひとつ、あなたとともに考えてみたいことがあります。
 
そもそも、本当に、
 
「逃げることは悪いこと」
 
なのでしょうか?
 
どんなときであっても、絶対に逃げてはいけないのでしょうか?
 
そんなことはありませんよね。
 
猛獣に襲われたとき、逃げなければ命を奪われかねません。
 
この場合、「逃げる」ことは「正しいこと」であり、無事に逃げきれたなら、周囲の人からも「よく逃げた」と賞賛すらしてもらえるでしょう。
 
つまり、
 
「逃げることはよいこと」
 
だったということになります。
 
このように「逃げる」ということは、時と場合によって「よいこと」になる。
 
すなわち「逃げる」ことそのものには、そもそも「よい」という価値も「悪い」という価値も与えられていない。
 
状況によってその価値がコロッとかんたんにかわってしまう行動なのです。
 
さらに、その「よい」か「悪い」かを決める判断基準も、人によってかなり違います。
 
なぜなら、私たちの脳にある『扁桃体』という部位の敏感度は、人によって大きく差があるからです。
 
扁桃体は私たちの「心のアンテナ」ともいえるもので、目の前の出来事を危機であるかどうかを瞬時に判断し、不快な感情として私たちに知らせてくれます。
 
そして扁桃体の敏感度は、生まれつきや幼少の頃の体験によって決まってしまうと考えられれているのです。
 

<参照記事>
脳の扁桃体の性質についてくわしく解説していますので、ご覧ください。
生きづらい原因は脳の扁桃体?

 
これは、たとえ同じ状況に遭遇したとしても、人によって感じている世界がまったく違っているということを意味しています。
 
つまり、なにが「猛獣」であるかは、人によってまったく違うということ。
 
あらゆる状況において、「逃げる」ことが「よい」のか「悪い」のかを判断できるという万人に共通の基準は存在しないのです。
 
にもかかわらず、一方的に「逃げることは、すべて悪である」という価値観が刷り込まれてしまっていては、「今は逃げた方がよいのか?逃げない方がよいのか?」という選択肢すら持つことができません。
 
そして、目の前の状況がもはや自分にはどうすることもできない状況であるにもかかわらず、逃げることもできず、ただただ自分を追い込んでいってしまう。
 
ついに耐えかねて逃げることができたとしても、「逃げてしまった…」という強い罪悪感にさいなまれることになってしまうのです。
 
ではなぜ、このような苦しい事態を生み出す「逃げるな虐待」をおこなった親、そしてその被害を受けた人たちは、「逃げることそのものによいも悪い」もないという当然の事実に、なかなか気づけないのでしょうか?
 
日本の社会全体にそのような風潮があるとしても、自尊心がしおれているとしても、「逃げる」ことすべてが悪いことであるという間違った価値観から脱け出せないのは、いったいなぜなのでしょうか?
 
次回はその謎を、あなたとともに解き明かしてみたいと思います。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶ かつのり(信夫克紀)
 

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