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行動の動機に焦点を当てる

 

虐待の後遺症のイメージ

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虐待の後遺症

 

第10回
行動の動機に焦点をあてる

 
ここまで見てきた迎合してしまうという虐待の後遺症
 
それをを克服するための方法を、自尊心を取り戻すための「4つ取り組み」に当てはめて考えていきましょう。
 
まずはじめに取り組むのは、『Don’t』と『Can’t』を見極めることでしたよね。
 
もしあなたが、迎合してしまう自分に苦しんでいるのなら、あなたの普段の行動の中から、相手に迎合しているなと思える行動をピックアップして、それが果たして『Don’t』なのか『Can’t』なのか判断してみましょう。
 
ただし、その判断をおこなう以前に、迎合と思える行動をピックアップしているうちに、それらの行動が本当に迎合なのかどうかを判断するのが難しいと感じる場合があるかもしれません。
 
自分としては親切にしているつもりでも、もしかしたら、ただ単に迎合しているだけなのかもしれない…。
 
そんな迷いが生じたときは、その行動そのものではなく、その行動の「動機」の方に焦点を当ててみましょう。
 
お茶を入れてあげたり、道をゆずってあげたり、荷物を持ってあげたり、一見周囲の人から感謝され、賞賛されるような行動であっても。
 
その行動をおこした動機に目を向けてみると、それはその相手に迎合するためにおこなっていただけだった、ということもよくあることなのです。
 
たとえば今あげた、道をゆずるという行動を例にとってみましょう。
 
あなたが会社の廊下を歩いていると、目の前から大きな手荷物をぶら下げた同僚がアタフタと歩いてきます。
 
あなたは、反射的にさっと壁に身を寄せて、その同僚に道をゆずりました。
 
同僚は、軽く会釈して「ありがとう!」とあなたに感謝をして通り過ぎていきました。
 
この場面だけを見れば、あなたは同僚に道をゆずった親切な人です。
 
さらに、その行動の動機に目を向けたとき、あなたが、
 
「荷物が多くて大変そうだな」
「なんだか急いでいそうだな」
 
と純粋に相手を思いやって道をゆずったのだとしたら、それは本当に親切な行動だったと言えるでしょう。
 
しかし、もし仮に、
 
「この人を怒らせると面倒だからな」
「気のきかないヤツだと思われるかもしれないな」
 
といった動機で道をゆずったのだとしたら、その行動はどんなに親切に見えても迎合であった言えるでしょう。
 
もちろん、反射的にとった行動に、そこまで動機を求めることはなかなか難しいかもしれません。
 
ただ、反射的な行動であればあるほど、なぜその行動を反射的におこなうようになったのか?
 
そんな風に、いったん立ち止まって考えることが、自分の中にある虐待の後遺症効果的にピックアップしていくことにつながるのです。
 
行動そのものではなく、動機に焦点をあてる。
 
そのような視点でピックアップしていくと、自分の行動が実は迎合だらけであったということに気づかされ、愕然とするかもしれません。
 
たとえ親切に見える行動であっても、献身的な行動であっても、本当は相手のことなど微塵も思いやっておらず、ただただ、自分が安心したくてその行動をとっていた。
 
そんな事実を突き付けられて、落ち込んでしまうかもしれません。
 
しかし、そこで自分を責める必要はまったくないのです。
 
なぜなら、迎合とは誰もがとる当たり前の行動でもあるからです。
 
自分より目上の人、立場の強い人、たとえば直属の上司や恩義のある友人、目つきの悪い警察官などを目の前にすれば。
 
誰だって少しは相手に気を使い、気に入られようとして、すり寄ったり、機嫌をとったりしてしまうものです。
 
それは、私たち人間にかぎらず、群れの中で暮らし、知能という機能を発達させることで生き延びてきた生命であれば、とても自然なこと。
 
人間として正常な反応なのです。
 
問題は、その動機の度合いが過剰であるかどうかです。
 
つまり、そこまでする必要がないほど相手に取り入ろうとしてしまった。
 
安全を確保しようとしてしまった。
 
友人同士を紹介するとしても、本人を目の前にしてそこまで持ち上げて紹介する必要はなかったのではないか?
 
カラオケで周囲の人を喜ばせるとしても、服をすべて脱ぐ必要まではなかったのではないか?
 
振り返ってみてそう感じるのであれば、それは、気づかいや献身をとおり越した、骨身を削るような「必要以上」の迎合だったと言えるでしょう。
 
その行動を思い返すたびに、口をふさがれるような息苦しさや、別の人格を演じているような居心地の悪さを感じるなら。
 
それは、本来の自分の気持ちとは、あまりにもかけ離れた行動をとってしまったことにより、押し潰された本心が悲鳴をあげているのです。
 
そして、そのような行動の回数があまりにも多すぎると感じるのであれば、あなたの中で、迎合が自動化されてしまっているのかもしれません。
 
今、自分にとって迎合する必要があるのかどうか、そう判断することなく、無自覚のうちに次から次へと迎合がくり返されてしまっている。
 
それは、先ほども見たように、本来の自分の気持ちとは別の行動をとりつづけてしまっているということ。
 
つまり、自分の意志とは関係なく、本心を押しつぶしつづけているということになります。
 
そんな苦しい行動をこのままとりつづけていれば、当然、身も心も燃え尽きてしまうでしょう。
 
だから、迎合と思える行動をピックアップするということは、虐待の後遺症を乗り越えるうえで、とても重要な行程なのです。
 
まずは、自分の日々の生活の中に潜んでいる、迎合を自覚するということ。
 
自分がどれだけ過剰に迎合しているのか、頻繁に迎合しているのかということを、客観的に把握するということ。
 
これを冷静におこなうことが、大切な一歩なのです。
 
そうしてはじめて、自分の中にある迎合してしまうという虐待の後遺症に、何らかの対処ができるようになるのです。
 
次に、こうしてピックアップした自分の行動にどのように対処していけばいいのかを 見ていきましょう。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
信夫克紀(しのぶ かつのり)
 

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