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突然理由も告げられず無視される

 

虐待の後遺症第6回 突然、理由も告げられず無視される

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虐待の後遺症

 

第6回
突然、理由も告げられず無視される

 
前回ご紹介したような、親がしつけのふりをして子供に迎合を迫る虐待には、次のようなケースもよく見られます。
 
それは、親が子供に対して、
 
「理由も告げずに無視をしつづける」
 
というケースです。
 
子供から気に入らないことをされたり、子供が言うことをきかなかったときに、突然、ムスっとして、子供のことを無視しはじめるのです。
 
今回も詳しくみるために、具体的な事例を出して書いていきますので、読むのがつらくなったときには無理せず読み飛ばしてくださいね。
 
あなたもご経験があるでしょうか。
 
親、特に母親が突然ムスッとしはじめて、あなたが後ろから声をかけても無視。
 
真正面から話しかけても無視。
 
母親の服のそでを引っ張っても無視。
 
まるであなたがそこにいないかのように、全面的に無視するのです。
 
子供にとって母親の存在は絶対的なものです。
 
幼い子供は、母親の愛情が欲しくて生きているようなものです。
 
その母親から無視をされてしまうことは、子供にとってとても耐えがたい苦痛を生み出します。
 
母親はそれをわかっていながら、無視をしつづけるのです。
 
それは、しつけでもなんでもなく、自分の機嫌を損ねた子供への大人気ない復讐。
 
怒りを晴らしたいという自分の欲求を満たすために、愛情を人質にとって子供を痛めつける、非常に卑劣で非人道的な虐待です。
 
銀行強盗が、遊ぶ金欲しさに人質をとって金を要求することと、まったくかわりがありません。
 
そこには、法律で禁止されているかどうか程度の違いしかないのです。
 
これだけでも、幼い子供にとってかなりの残酷な仕打ちなのですが、さらにこの虐待の残酷さは、無視される理由を教えてもらえないという点にあります。
 
なぜ母親が機嫌を損ねてしまったのかわからない。
 
何もわからないまま苦痛を味わわされるという、耐えがたい二重の苦痛にさいなまれることになるということです。
 
そこで子供は、何とかわけもわからない無視という残虐な暴力から逃れようとして、母親に話しかけます。
 
機嫌を一所懸命にとろうとします。
 
子供なりに苦心をして母親の手伝いをしたり、母親の好きなものを工作してプレゼントしたりします。
 
つまり、迎合をはじめるわけです。
 
それでも無視される。
 
その無視は、数時間は当たり前、長いときでは数日間におよびます。
 
しかし、近所のママさんや、かかってきた電話には元気よく話す。
 
ひどい母親になると、夫や他の子供たちには優しく対応し、一人の子だけを無視しつづけるというパターンもあります。
 
その仕打ちに子供は耐えきれず、しきり「これが理由では?」と思える自分の反省点を、次から次へと母親に投げかけます。
 
これが正解だと思える理由を、自分なりに考えていくつもいくつも並びたてる。
 
そして、自分が悪かったと泣き叫び、母親にすがりつきます。
 
とにかく許して欲しい。
 
この苦しみから解放して欲しいという願いとともに。
 
しかし、たとえ正解を出したところで、母親の無視は終わりません。
 
なぜなら、無視の目的は、正解をわからせ子供をしつけることが目的ではないからです。
 
無視をつづけているのは、ただ単に、困っている子供の姿を見て自分の怒りの感情を晴らしてるだけに過ぎないからです。
 
このいびつな欲求に気づけていない母親は、実はとても多いのです。
 
カウンセリングの場でも、
 
「私はしつけとしてやっていたんです!」
 
と声を荒げて私に抗議するお母さんもいらっしゃいます。
 
しかし、しつけであれば、たとえ無視という方法が卑劣ではあっても、子供が自分のよくない言動や行動に気づき、反省する機会が得られたのならそこで終えていいはずです。
 
でも実際は、子供が泣き叫び反省をしていたとしても、無視をつづけるのです。
 
それはただ単に、その状況を楽しんでいるだけであり、子供に対して「いい気味だ」とよろこんでいるにすぎないのです。
 
そして、そのことに自分が気づけていないだけなのです。
 
たいていのお母さんは、私にこう解説されてしまうと、何も言えなくなってしまう方がほとんどです。
 
やがて、自分も母親から同じことをされつづけていたのだということを語り始めるのです。
 
そこには、悲しいまでの虐待の連鎖がある。
 
お母さんもまた、被害者の一人だったのです。
 
このような虐待を受けた人は、母親にいつまた無視されるかというおびえを常に持つようになってしまいます。
 
そして、母親の顔色や声色を常にうかがいながら話をするようになっていきます。
 
その日常的ないとなみによって、相手の顔色や声色を常に気にしながら自分の態度を変えていくという、迎合の癖が育まれていくのです。
 
それはまさに、虐待の後遺症です。
 
では、なぜこのような卑劣な虐待がおこなわれてしまうのでしょうか?
 
それは、親が未成熟なまま子を持ったためです。
 
母親にかぎらず、未成熟な親というのは、子供を自分の親代わりにしてしまっていることに気づけていません。
 
子供を、自分をいつでも賞賛してくれる人、自分の思い通りに動いてくれる人、自分の愛情を満身で受け止めてくれる人、そのような立場に置いてしまっていることを自覚できずにいるのです。
 
その典型的な例として、自分がいかに子供のために頑張っているかを、猛烈にアピールする親というのがいます。
 
夏の暑い日に、キッチンで料理を作っていたと思ったら、突然子供の前に現れて、
 
「見て!この汗!」
 
と、自分のほおをつたう汗を指さして見せます。
 
ぬぐえばすぐにふき取れる汗を、わざわざ子供の目の前に突きつけるのです。
 
ここで対応を間違えると、子供はまた無視地獄へと突き落とされてしまいます。
 
そのため、母親のその幼稚なアピールを受けるたびに
 
「ほんと、すごい汗!ママ!」
「お母さんは、いつも頑張ってくれているんだよね!」
 
と褒めてあげねばなりません。
 
それは心からの感謝ではなく、ただのおびえでしかない。
 
この日常的な営みは、迎合を育てあげているだけでしかないのです。
 
未成熟な親は、ただただ自分の機嫌で子供に感情をぶつけてしまいます。
 
そのため、理由を告げない無視も、ふたを開けてみると信じられないようなささいな理由で
はじめてしまいます。
 
それゆえに、子供としてはなぜ母親が機嫌を損ねたのか、よりわかりにくくなってしまうのです。
 
そんな不安な状況の中、子供は、何時間、何日間も無視という責め苦を受けたあげく、突然、無視された理由を告げ知らされるのです。
 
その理由とは、たとえば父親と遊んでいるときに、おもちゃを片づけるように母親から言われたのに対して、
 
「お父さんがこのうちで一番えらいんだから、いいんだもん!」
 
とはしゃいで言ったからというような、言った本人も覚えていない、信じられないほどささいな理由であることがほとんどなのです。
 
そんなバカげた理由で無視していたのかと、幼い子供ですら、愕然としてしまうような幼稚な感情をそのまま子供にぶつけてしまっていたわけです。
 
しかし、当の母親はその理由を告げるとき、優しく言ってきかせるように、
 
「そういう人を傷つけるようなことを言ってはいけないのよ」
「相手の気持ちを考えられる優しい子にならなきゃダメよ」
「もう、わかってくれたと思うから、今からお話ししてあげるからね」
 
と、もっともらしい理由をつけて一方的に「許し」を出し、自分の未成熟さからおこなってしまった虐待を、しつけへと平気で変換してしまうのです。
 
本当は、ただ単に、子供に自分の感情を十分に受け止めてもらい、存分に子供を痛めつけて、自分の気が晴れてスッキリしただけなのですが、本人はその残酷な自分の気持ちに気づこうとはしません。
 
だから、その虐待に対して一切反省せず、何度も同じことをくり返し、迎合という悲しい後遺症を子供に背負わせることになるのです。
 
このような環境で育った人は、相手の不愉快が怖くなるという虐待の後遺症を持って生きることになります。
 
不愉快そうにしている人がそばにいるだけで、不安と不快感が入り混じった「あの時の感覚」につつまれて、いても立ってもいられなくなってしまうのです。
 
無視されつづけ、相手の許しを待ち続けているあいだ、ひたすら感じている「あの時の感覚」。
 
早くお説教をして、理由を教えて、終わらせて欲しい。
 
次に自分の方へ近づいてきたときこそ、きっとハッキリしかってくれるだろう。
 
足音とともに、高まる鼓動。
 
そんな願いもむなしく、自分の前を素通りしていく母親。
 
いったいいつまで続くのか…。
 
今度は何をしてしまったのか…。
 
そんな、幼少の頃に味わいつづけた苦しみの感覚が、自然とわき出してしまうのです。
 
学校にいても、会社にいても、相手が少しでも機嫌の悪そうな表情をするだけで、
 
「自分が何かしてしまったのでは?」

と考えてしまいます。
 
隣の席の人がたまたま「ドンッ」とカバンを置いただけで、
 
「怒らせるようなことをしたのでは?」
 
と嫌でも気になってしまうのです。
 
その時、心と体には、幼い頃に焼きついた不安な感情と不快感が入り混じった「あの時の感覚」がよみがえります。
 
そして、もう気が気ではなくなり、仕事も何も手につかなくなるのです。
 
やがてその不安と不快感に耐えきれず、相手の機嫌をとらざるを得なくなり、一人で勝手に迎合しはじめてしまうのです。
 
つまり、他人の不愉快な仕草に耐えられないという後遺症を抱えて、そのとき感じる不安や不快感を避けることが、何よりも優先されるようになってしまうのです。
 
実際に自分に責任があるかどうかは、関係がありません。
 
他人が不愉快そうにしていると、自然と苦しくなってしまい、迎合せざるを得なくなってしまうのです。
 
このような迎合する人生を生み出す、しつけを装った虐待が、なかなか虐待を受けた本人に自覚されないのには、もうひとつ大きな理由があります。
 
それは、もう一方の親が見ていても止めないということです。
 
あきらかに行き過ぎたパートナーの行為に対して、夫も妻も、見てみぬふりをするのです。
 
それは、自分の保身のためでもあります。
 
機嫌の悪そうなパートナーに対して子供をかばおうとすることで、自分に火の粉がかかることを恐れ、見てみぬふりをしてしまう。
 
つまり、自分かわいさのあまり、自分の身を守るために、子供を堂々と見殺しにしてしまうのです。
 
あきらかに今回はいきすぎだと子供自身が親を疑ったとしても、もう片方の親が何も言わなかったとしたら。
 
子供は、やはり自分がこれだけのことをされるような失態を犯してしまったのだと、思わざるを得なくなってしまうのです。
 
もちろん、意気揚々と夫婦二人でこのような虐待をおこなう家庭も少なくありません。
 
母親が父親に告げ口をして、子供が父親に長々とネチネチと説教されるのを、横で満足そうに見ている母親もいます。
 
父親もそんな妻に頼られている気がして、まんざらでもないわけです。
 
子供は、そんな夫婦のささやかな保身や気味の悪い満足のための道具として、なぶられるように心と体を、そしてその後の人生を蹂躙されてしまうのです。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
信夫克紀(しのぶ かつのり)
 

 
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