生きづらさの正体

 

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生きづらい人生の歩き方

 

第9回
生きづらさの正体

 
「どうしてこんなに生きづらいのだろう…」。
 
今の時代、多くの方が「生きづらさ」を感じています。
 
私自身も、長いあいだ「生きづらさ」に悩んできました。
 
また、カウンセラーとして多くの方の「生きづらさ」に触れる機会をいただいてきました。
 
「生きづらさ」という同じ言葉であっても、その内容はさまざまです。
 
そもそも「生きづらさ」とは、いったい何なのでしょうか?
 
私は、大きく分けて二つの種類に分けられると考えています。
 
一つ目は、「現実社会での生きづらさ」です。
 
たとえば、
 
「体に障がいがあって思うように動けない」
「収入が低く衣食住が十分に得られない」
 
といった、物理的な苦しみ。
 
または、
 
「心が敏感で人と会うのも怖い」
 
といった心理的な苦しみ。
 
このように社会生活を送る上で、じっさいに物理的、心理的にとても大きな負担のかかる状態が、「現実社会での生きづらさ」です。
 
言うなれば「極度な生活しづらさ」だと言えるでしょう。
 
二つ目の生きづらさは、
 
「実存的な生きづらさ」
 
です。
 
ここで言う実存は、「私という存在そのもの」という意味です。
 
したがって「実存的な生きづらさ」とは、たとえば、自分は何のために生きているのかと思い悩むような状態です。
 
なぜ自分の人生はこんなにも苦しいのか。
 
それでもなぜ生きていかなければいけないのか。
 
自分は何をなすべきなのか…。
 
やがてこのような実存的な問いは、どうしても自分という枠を超えざるをえなくなります。
 
人生とはそもそも何なのか。
 
人は、生命は、どう生きていくべきなのか。
 
この世界とはいったい何なのか。
 
存在とはいったい何なのか…。
 
どの問いも、簡単には答えられない上に、世間で語ることは暗黙のうちにタブーとされています。
 
必然的に、生きる上で大きな足かせとなっていくのです。
 
もちろん「現実社会での生きづらさ」と「実存的な生きづらさ」は、きっちりと別れているわけではありません。
 
もっとも多いのは、「現実社会での生きづらさ」を感じながら、だんだんと「実存的な生きづらさ」に入っていく人でしょう。
 
障がいや貧困、心の敏感さなどの「極度の生活しづらさ」が日々積み重なることによって、なぜ自分がこれほどまでに苦しまなくてはならないのかという、「実存的な問い」を持たざるをえなくなるのです。
 
反対のパターンもあります。
 
いきなり「自分とは何なのか?」「存在とは何なのか?」という実存的な問いにとりつかれ、すべてが虚しく感じられたり、人や社会に嫌悪感や恐怖感をいだき、社会生活が困難になっていくというケースです。
 
どちらにしても「生きづらさ」を感じている人は、「現実社会での生きづらさ」と「実存的な生きづらさ」の両方を持っていることがほとんどだと言えるでしょう。
 
ただし社会と接する上で、これらの「生きづらさ」は、あつかわれ方が大きく違ってきます。
 
「現実社会の生きづらさ」の物理的な面は、とても苦しいながらも、他者から理解を得られることもあります。
 
病名や障がい名がついて、必要なケアを受けられることもあるでしょう。
 
しかし、同じ「現実社会の生きづらさ」でも、心理的な面になると理解やケアを得ることは一気に難しくなります。
 
本人がどれだけつらい、苦しいと言っても共感を得られない。
 
怖い、気味が悪いと口にしてもまともには聞いてもらえない。
 
たとえ病名や障がい名がついても、それが偏見の目で見られる原因にすらなってしまうのです。
 
さらに「実存的な生きづらさ」ともなると、もはや誰も相手にはしてくれません。
 
「甘えるな!もっと大変な人がいるんだぞ!」としかられることもあります。
 
心理カウンセリングでも、この領域をまともに相手してくれるところは少ない。
 
本当に稀です。
 
ふむふむと話は聞いてくれるものの、ただそれだけで終わってしまう。
 
相談する側の人は、カウンセラーが心の底から共感してくれていなければ瞬時にわかってしまうもの。
 
結果的に幻滅してしまい、「生きづらさ」に拍車がかかってしまうこともあるのです。
 
私はそのような状況を変えたいと思い、「生きづらさ専門カウンセラー」になりました。
 
なぜなら「生きづらさ」には必ず、物理的な面だけではなく、心理的な面、実存的な面が含まれているからです。
 
私は、障がいのある人、貧困に苦しむ人、心が敏感な人に接してきました。
 
また自分自身も、障がい者手帳を持っていましたし、虐待の後遺症や植物嫌悪症、貧しさにあえぎ苦しんだ経験もあります。
 
その経験の中で言えること。
 
それは、「生きづらさ」の物理的な面だけで悩んでいる人はいない、ということです。
 
たとえば足に障がいのある人は、「歩きづらい」という物理的な面だけで悩んでいるわけではありません。
 
バリアフリーを一切考慮していない社会や、そのような問題に見向きもしない人の身勝手さに対する怒り。
 
さらに、そのような強い負の感情をやり過ごすためにはどうしたらいいのか…。
 
そんな心理的な面にも、当然のことながら切実に悩み、葛藤しているのです。
 
切実な葛藤からは「実存的な問い」が生まれます。
 
「なぜ自分がこんな目に合わなければならないのか?」
 
「ここまでして生きる意味とはいったい何なのか?」
 
さらには、
 
「自分が生きづらさを抱えたことには、何か意味があるのではないか?」
 
「この生きづらさを持った自分にしかできないことがあるはずだ。」
 
そんなふうに、自分の使命を探す人も出てきます。
 
やがて自分を飛び越えて、人類、いや生命、いや宇宙が同じ目的を持つ必要性を強く感じる人もいるでしょう。
 
その必要性とは真逆の生き方をしている人間のエゴに嫌気がさし、同じエゴを持つ自分にも嫌気がさして、生きる気力を失ってしまう人もいます。
 
このような「現実社会の生きづらさ」の物理的な面、心理的な面、そして「実存的な生きづらさ」というすべてを、ザックリと、
 
「生きづらさ」
 
という言葉ひとつでまとめあげてしまっているのが、今の日本社会です。
 
専門家であるはずのカウンセラーでさえも、
 
「生きづらさ」
 
という言葉の中に、これほどまで多様な感性が含まれていることに気づこうともせず、話を聞いている人がいます。
 
それでは相談なさる方も納得できる答えにたどり着けるはずがありません。
 
その人が持つ固有の「生きづらさ」を、一つ一つていねいに解きほぐしていくことが必要なのです。
 
それは、
 
「生きづらさの正体」
 
を探っていく過程だと言えるかもしれません。
 
私のカウンセリングの現場でも、ご自分の「生きづらさ」が解きほぐされるだけで、だいぶ心が落ち着き、生きるエネルギーが戻ってこられる方が多くおられます。
 
あなたがもし「生きづらい」と感じているのなら。
 
漠然とした「生きづらさ」に飲み込まれてしまわないように、ご自分の、
 
「生きづらさの正体」
 
について、しっかりと解きほぐしてみることをオススメします。
 
Brain with Soul代表
生きづらさ専門カウンセラー
信夫克紀(しのぶ かつのり)
 

 
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